ガルシア・マルケス 『青い犬の目』

 しばらく前まで、自分が死んだものだと信じきっていたので、彼は幸せだった。死者という、動かしようのない状況に置かれているので、幸せなはずだった。ところが生者というものは、すべてを諦めて、生きたままで地中に埋められるわけにはいかないのだ。それなのに四肢は動かそうとしても、全く反応しない。彼は自分自身を表現できず、そのことが彼の恐怖を一層つのらせた。生と死の最大の恐怖だった。

- ガルシア・マルケス 『青い犬の目』 -




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 ガルシア・マルケスの処女短編集『落葉』とほぼ同時期に書かれたごく初期の短編集。短編それぞれの内容が非常にバラエティーに富んでいるという点で『ママ・グランデの葬儀』によく似ていると思う。
 前半の数編(『三度目の諦め』から『鏡の対話』くらいまで)は、そのテーマを「死」に置いているという点で非常に興味深い。マルケスというと『大佐に手紙は来ない』から『百年の孤独』『族長の秋』とテーマをはっきりと「孤独」に置いて作品を書いており、自身も「一貫して孤独をテーマに書いている」と言っているようだが、この前半の数作品は明らかに「死」について描いている。単純に「死」と「孤独」というと非常に似通ったもののようにも感じるが、『百年の孤独』以降の作品では「死」を超越したところにある「孤独」を描いており、単純に「死」をテーマとしているのは非常に面白いと思う。そういう意味では単なる「死」の孤独を描いていた初期から、「死」を越えた「孤独」へと進んで行く道筋がよく見えるともいえる。
 ちなみにこの前半の短編は同じく初期の大江健三郎の短編に雰囲気がよく似ているような気がする(例えば『死者の奢り』とか)。随分昔に読んだきりなので内容はほとんど覚えておらず、「気がする」だけだが。
 この本の解説に「ヘミングウェイを思わせる」とある『六時の女』をへて(ヘミングウェイはほとんど読んだことがないのでよくわからない)、後半はいかにもマルケス的な短編がそろっている。
 特に『天使を待たせた黒人、ナボ』と『誰かが薔薇を荒す』はマルケスらしい特徴的な時間の操り方が使われていて(『予告された殺人の記録』ほど自由自在に使いこなしているわけではないが)、いかにもマルケスの初期の作品という感じがして面白い。また『マコンドに降る雨を見たイサベルの独白』はマコンドものではあるが、『エレンディラ』に近い想像力の飛躍が使われているというのもまたバラエティーを感じる。
 個人的な感想としては単純に内容だけ見ると、後半の「マルケス的」短編の方が、面白い。しかし単純に単発の短編としてではなく、ガルシア・マルケスという作家を読むという観点からいうと、前半の短編も非常に興味深い。全体としてもなかなか面白い短編集じゃないかと思う。


 午後はずっと同じ調子で雨が降り続きました。単調で穏やかな雨音を聞いていると、午後の汽車に乗って旅をしているような気分になりました。でも、気づかないうちに、雨はわたしたちの感覚の奥深くに入り込んでいたようなのです。

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