ガルシア・マルケス 『ママ・グランデの葬儀』

「死は女みたいなものですってね」夫人がつづけて言った。亭主よりも背が高く、太った女で、上唇のところに毛のはえたいぼがひとつあった。彼女のしゃべり方は電気扇風機のうなる音を思い出させた。「でもわたしには女みたいに思えないわ」と彼女は言った。棚の戸を閉め、もう一度大佐の目をのぞきこんだ。
「わたしは爪のある動物だと思いますけど」
「そうかも知れませんな」大佐は認めた。「ときにはたいへんおかしなことが起こるものです」

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写真 『百年の孤独』に続いていくマコンドものの短編集。完全に勘違いしていたんだけど、これは『百年の孤独』の前に書かれている。
 個人的には各短編の好き嫌いが別れる短編集である。よくできていると思うのが『大佐に手紙は来ない』『火曜日の昼寝』の二編で、その他の短編は嫌いというわけではないが、それほど評価できないと思っている。とはいえ『百年の孤独』で確立されるガルシア・マルケスらしさの生成過程がよく見えるという点で、非常に重要であり、興味深い短編集だと思う。
 この短編集で特徴的なのは、収められている短編のスタイルが全くばらばらであるということ。ガルシア・マルケスにしては珍しく湿っぽい雰囲気を持つ『大佐に手紙は来ない』、同じく珍しく正統派の短編小説を思わせる『火曜日の昼寝』『最近のある日』『造花のバラ』、『百年の孤独』につながっていく雰囲気を持つ『土曜日の次の日』、それを飛び越えて『族長の秋』を思わせる『ママ・グランデの葬儀』など。それぞれの違いを意識しながら読んでいくとガルシア・マルケスという作家の初期の形成過程が見えてきてなかなか面白い。
 またこの短編と『百年の孤独』の間でいくつか違う点も見受けられる。些細なことではあるが、そこからも『百年の孤独』に到る道のりを垣間見ることができる。例えばレベッカ夫人は『土曜日の次の日』では中心人物の一人にすえられかなり動き回っているのに対し、『百年の孤独』のレベーカはホセ・アルカディオの死後は全く家の外に出ず生死もわからない、まったくの「孤独」のなかに生きる人物として描かれている(ホセ・アルカディオに再会する前も妹のアマランタに脅かされるわりと影の薄めの人物である)。ガルシア・マルケスは「孤独こそが諸作品の唯一の主題」と言っているようだが、そこら辺の設定の変更(と言っていいのかわからないけど)から『百年の孤独』に至る過程でより「孤独」というテーマに深く傾斜をしていっているということが感じられる(個人的にはマコンドもののいくつかは孤独の影を感じても、それがテーマに置かれているようには思えないのだが)。
 とまあ、短編集そのものとしてはさほどのものではないようにも思うが、『百年の孤独』を読みこなす上で、ひいてはガルシア・マルケスを読む上で非常に重要な短編集だと思う。まあまずは『百年の孤独』を読んでみるのが良いと思う。ガルシア・マルケスのすごさを少しでも感じたら、これを読んでみるとさらなる発見があるかも知れない。


「間違いなく今日着くはずだったんだ」と大佐は言った。
 郵便局長は肩をすぼめた。
「間違いなく来るのは死だけですよ、大佐」

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