ガルシア・マルケス 『百年の孤独』

 彼女がそう言ったとたんに、フェルナンダは光をはらんだ弱々しい風がその手からシーツを奪って、いっぱいにそれを広げるのを見た。自分のペチコートのレース飾りが妖しくふるえるのを感じたアマランタが、よろけまいとして懸命にシーツにしがみついたその瞬間だった。小町娘のレメディオスの体がふわりと宙に浮きあがった。ほとんど盲に近かったが、ただ一人ウルスラだけが落着いて、この防ぎようのない風の本性を見きわめ、シーツを光の手にゆだねた。目まぐるしくはばたくシーツに包まれながら、別れの手を振っている小町娘のレメディオスの姿が見えた。彼女はシーツに抱かれて舞いあがり、黄金虫やダリヤの花のただよう風を見捨て、午後四時も終わろうとする風のなかを抜けて、もっとも高く飛ぶことのできる記憶の鳥でさえ迫っていけないはるかな高みへ、永遠に姿を消した。

- ガルシア・マルケス 『百年の孤独』 -




写真 ガルシア・マルケスの初期のマコンドものの集大成にして、20世紀を代表するといって過言ではない傑作。
 とにかくすごい小説である。『予告された殺人の記録』のようなピンと張りつめた緊張感とはまるで反対の緩やかな調子で全体としては進んでいくのだが、決して散漫にはならず一つ一つのエピソードがしっかりと構築されている。そしてこれだけたくさんのエピソードを次から次へと繰り出されても、全く飽きることはない。もう、すごいという言葉以外にこの小説を評価する言葉が見つからない。
 この小説を読んで特に感じたのはガルシア・マルケスは「南米の作家」ではないということ。次々と語られる神話めいたエピソードは実に南米的な(「南米的」とはどんなものか想像つかないが、なんというか「異世界的な」)想像力を強く感じてしまう。しかしこれだけ大部の小説に積み上げても、全くくどくならない、飽きさせないというのはやはり小説家としての力である。「南米的なもの」はこの人の特色ではあるが、売りではない。自分にとってスタートとなった『エレンディラ』以来「南米の作家」として読んでいた間違いがやっとわかった。
 実はガルシア・マルケスを読むきっかけとなった安部公房の『死に急ぐ鯨たち』の中でも全く同じことが書かれている。確か「南米の枠におさまらない、枠を越えた世界的な作家」という書き方だったと思う。まあ『死に急ぐ鯨たち』からスタートして『死に急ぐ鯨たち』にようやく帰ってきたと言うことだろうか。『エレンディラ』でその奇妙な、今まで読んできたどこの文学にも当てはまらない不思議な世界にはまっていろいろと読んできたが、ようやくそこにたどり着いたというのも情けない話であるが。
 もう一つこれを読んで非常に気になったのが、些末事ではあるが、構造が非常に大江健三郎の世界に似ているということである。『百年の孤独』はマコンドとブエンディーア一族の創世と崩壊の神話であるが、大江健三郎の『同時代ゲーム』や『燃えあがる緑の木』などで使われている村の神話ととてもよく似ている。村の神話について特に『M/Tと森のフシギの物語』(これって「小説」なんでしょうか?)で体系的に神話が語られているが、『百年の孤独』に「M/T」の構造が全くそのまま当てはまるように思える。M(matriarch・・・女族長)はウルスラそのものだし、村の創建者のホセ・アルカディオ・ブエンディーア以下一族の男たちはみなT(trickster・・・お調子者?)の要素を多かれ少なかれ持っている。そもそものはじまりである創建の過程やアルカディオ・セグンドとペトラ・コテスの情事による家畜の繁殖などさまざまな共通点がある。
 そこで不思議なのが、マコンドの神話とは何か?ということ。大江健三郎の神話は実際の神話に基づいているのだが(だと思うが)、マコンドの方は創作のはずである。なぜ似ているのだろうか?マコンドも実際の歴史(神話)に取材しており、この神話が人間としての共通性を持つ神話?だと簡単にまとめることができるかもしれない。とはいっても特にM、女族長については『百年の孤独』のみでなくガルシア・マルケスの他の小説に広く見られるモチーフであり(『族長の秋』のベンディシオン・アルバラドは言うに及ばず『火曜日の昼寝』の女、ママ・グランデ、いくらでもある)、もっと深い根を持っているようにも思える。まあここまで来ると民俗学とか心理学じみた話になってきて、そんなこと考えている余裕はないのだけど、なかなか興味深いと思う。
 と、余談を経てまとめ。とにかくこの本は手にとって考える前にまず読むべき。それだけ。本を読み慣れていないとつらいところがあるかもしれないけど(同じ名前が繰り返しでてきて、注意していないと血縁関係が全くわからなくなる)、とにかく少しぐらい苦労をして読むだけの価値はある。
すごい作家である。


 彼はそのとき初めて、アマランタ・ウルスラが姉ではなくて叔母であることを知った。またフランシス・ドレイクがリオアーチャを襲撃したのは、結局、いりくんだ血筋の迷路のなかで彼ら二人がたがいを探りあて、家系を絶やす運命をになった怪物を産むためだったと悟った。マコンドはすでに、怒りくるう暴風のために土埃や瓦礫がつむじを巻く廃墟と化していた。

- ガルシア・マルケス 『百年の孤独』 -

→Amazon  


  前へ
   次へ