北杜夫 『少年』

 毎日、居ても立ってもいられないもの寂しさ。生きて鼓動している自分のからだが、やりきれなく寂しいのだ。ふと皮膚をふるわす、もののゆらぎ。神経をそよがす、もののかげ。このむずがゆい変化はどこからくるのだろう。ぼくは大人になりつつあるのかな。

- 北杜夫 『少年』 -




写真 北杜夫のごく初期の中編小説。初期の代表作『幽霊』の下敷きとしても使われていたらしい。
 とにかく初期の北杜夫らしい、むやみやたらに叙情的な小説。「むやみやたら」といっても別にけなしているわけではなく、「マンボウもの」とかそういうユーモアにあふれた別の路線の小説に比べると、バカに叙情的な面が眼についてしまうということであるが。この小説にもいかにもらしいユーモアがちりばめられてはいるが、それにしても何となく感傷的な雰囲気がして、また叙情的なのである。
 この小説の特徴はとにかくその叙情性に(同じ言葉ばかり繰り返してバカみたいだが)あるといえるだろう。そしてそれはまた初期の北杜夫の小説の特徴でもある。そういう点では初期の作品群の雰囲気をしっかりと持っているという点で特徴的であり、逆に平凡であるとも言える。
 要するに何が言いたいかといえば北杜夫の初期の作品らしい雰囲気を持っているが、内容的には平凡、ということだ。特に内容的には『幽霊』や『楡家の人々』などでも使われているエピソードが多く、どうも目新しいものが感じられない、というのが正直なところだ(とはいっても書かれた順番的には『少年』の方が先であり、小説そのものの評価としては不当だというのはわかっているのだが、自分にとって読んだタイミングが「今」であるということはどうしようもない)。北杜夫の初期の小説が好きという人には良いだろう。
 余談になるが、この小説には北杜夫の詳細な年譜がついている。なかなか詳しく書いてあるのだが読んでいくと1974年で終わってしまう。初版が1975年で1974年までの年譜というのはいいのだが、1997年の16刷まで1974年の年譜をそのままというのはいかがなものか。ちょっとがっかりだった。


 このひと夏、ぼくは一字もこのノートを埋めなかった。一体なにを書けというのか。樹を草を、日光月光を?しかしぼくはもう自然の仲間ではない。叢にふしころんでも、葉ずれのささやきはもうぼくに語りかけてくれない。

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