ガルシア・マルケス 『落葉』

 ルクレシアに会うためには樹や溝のいっぱいある五つの裏庭を通って行かねばなりません。トカゲのために緑色になっている低い土塀を越えて行かなければなりません。そこでは以前には小人が女の声で歌をうたっていました。アブラハムは犬の吠え声に追われて、強い光の下を金属片のように輝きながら走り過ぎます。やがて立ち止まります。もうその瞬間、僕たちは窓の正面に来ているのです。まるで眠っているルクレシアに呼びかけるみたいに、僕たちは声を抑えて「ルクレシア」と言います。

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写真 G・ガルシア・マルケスのデビュー作。マコンドで発生したフランス人医師の自殺を軸に、村の人々の愛憎を、三世代の人間の独白で描く中編小説。
 何とも非常に小難しい作品。修飾と比喩に満ちた(と思う)文体が非常に読みづらかった。訳の問題、と思わないこともないが、むしろ訳す際も相当苦労したのではないかと思う。その非常に修飾的な文体にくわえて、マルケス独特の時間と場所を自由に行き来する構成をとられているものだから、ストーリーを追いかけるだけでも非常な苦労である。まあストーリーはつかめても、なにをいわんとしているのかは、正直よくわからなかった。
 ストーリーとしてはフランス人の医師の自殺から葬儀に至る過程を中心に、その医師とある家族との関わりなどから、マコンドの人々すべてが持つ孤独を描きだしていくというものである。こういう風にまとめると実に簡単、ガルシア・マルケスの主題である孤独を描いているのだ、と一目瞭然なようだが、実際に読んでいるとどうにもわけが分からなく感じるのが不思議である。
 ぐだぐだと何やら書いてきたが、一言でいえば、何やらよくわからなかった、というところかもしれない。こういう見方は不当なのかも知れないが、どうしてもデビュー作、処女作だからまだ完成されていない、という風に感じてしまう。あくまで小説の処女作であり、これ以前には記者としてものを書く仕事をしていたわけだから、そういう見方は正しくないとは思うのだが。逆に、新聞という万人に読みやすい文章が必要とされているメディアに対してものを書いていた作者が、「小説」を書くということで気負ってしまったのかもしれないと思う。そう考えると以降の『大佐に手紙は来ない』などで使われるシンプルな文章は、新聞記者の時に下地が作られていた、もとのスタイルに戻ったということなのだろうか。
 小説としては万人にすすめられる類のものではないと思うが、マルケスのルーツ、という意味ではなかなか興味深いものだと思う。


 変わらないもの、それはサン・ヘロニモの双生児の姉妹の歌と、二十年も前から火曜日ごとにメリッサの小枝を貰いに来ているのに、齢を感じさせない不思議な物乞いの女だけです。誰をも運び去ることのない埃まみれの黄色い汽車の警笛だけが、一日に四回、静寂を破ります。そして、夜になると、バナナ会社がマコンドから去るときに残していった工場のトーン、トーン、トーンという音が。

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