ガルシア・マルケス 『迷宮の将軍』

 古くから仕えている召使のホセ・パラシオスは、薬湯を張った浴槽に将軍が素っ裸のまま目を大きく見開いてぷかぷか浮かんでいるのを見て、てっきり溺れ死んだにちがいないと思い込んだ。それが将軍の瞑想法のひとつだということは分かっていたが、恍惚とした表情を浮かべて浴槽に浮かんでいる姿を見ると、とてもこの世の人間とは思えなかった。

- ガルシア・マルケス 『迷宮の将軍』 -




写真 19世紀にスペインと戦い南アメリカ北部、ベネズエラからペルー、ボリビアまでの独立を成し遂げた「解放者」シモン・ボリーバルの最後の旅の日々を描く。
 この本に関しては全く何の予備知識のないまま読んだもので、途中でかなり混乱してしまった。第一にマルケスが実在の人物をモデルに小説を書いているということが途中まで分かっていなかったし、それに気づいても、ではシモン・ボリーバルとは何ものかというのも知らなかった。読みすすめるうちにボリーバルの生涯における重要な場面場面がところどころ描かれていくので、全くわけが分からないままというわけではないのだが、ボリーバルについてそれなりの予備知識を持っておいたほうがより読みやすいと思う。読んだ本では巻末に結構詳しい伝記と年表がついているので、まずそれを読むのが良いだろう。(この本を読んでもボリーバルの歴史と人物像を把握することは出来ないと思う)
 ただ、モデルがあるとはいえ、そこで描かれているのは完全にガルシア・マルケスの世界である。どこまでが真実で、どこまでがフィクションなのか分からない、まさに真っ暗闇の迷宮のようなボリーバルの最後の旅が描かれている。マルケスといえば『百年の孤独』『族長の秋』のような現実と神話的幻想が混じり合った独特の作風が印象的である。そういう意味ではかなりの部分を史実に基づいた今回の作品はミスマッチのように思えるが、逆にこれがあるべき方向なのではないかという気にもなった。今までの作品は現実と幻想の融合とはいえ、あくまでもフィクションである。それに対してさらに史実をもとにしていかにマルケスの世界を描くか、それを追い求めているように思える。『予告された殺人の記録』では大幅に幻想的な色合いが薄れている(それでいてマルケスの色は充分に出ている)ということを見てもそれは分かると思うし、また『迷宮の将軍』においてもマルケスの雰囲気が充分に出ていると思う。
 とはいえその試みの成否に別にして作品のできはというと、正直なところいまいちのような気がする。確かに非常にマルケスらしい作品になってはいるものの、読んで面白いかというとどうもそうでもないような気がしてしまう。そのタイトルの通りとにかく暗く先の見えない、読んでいて苦しくなるような内容である。ガルシア・マルケスファンとしては十分読みごたえがあったとは思うが、そうでなければまずは初期の作品を読むことをおすすめしたい。


 これまで数々の不幸、災厄に見舞われながらも、夢を捨てずに狂ったように駆け続けてきたが、とうとう今、最終のゴールにたどり着いたのだ、目のくらむようなその啓示を受けて思わず体を震わせた。あとに残されたのは闇だけだった。
「くそっ」と溜息まじりに言った。「いったいどうすればこの迷宮から抜け出せるんだ!」

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