ディケンズ 『二都物語』

 大きな酒樽が道路に落ちて、こわれた。椿事は、樽を車から下ろしていたときに起こったのだった。樽はコロコロところがって、たががはじけ、酒店のすぐ店先の石畳に止まって、そのまま胡桃の殻のように、木っ端みじんにこわれてしまった。

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写真 文豪ディケンズの作品の中でも最も名高い小説の一つ。フランス革命期のパリとロンドンを舞台に、歴史の波に翻弄される人々を描く。
 ディケンズの作品の特徴というと、キャラクターが非常にユニークであることがまずあげられる。『大いなる遺産』の登場人物たちなどはその最たるものであろう。ところがこの作品では、その特徴があまり見られない。せいぜいミスター・ロリーとジェリーくらいなものだろうか。ルーシーやダーニーなどは実に平凡な造型のように思えてしまうし、マダム・ドファルジュなども特徴的ではあるものの一種紋切り型の設定のように感じられる。これがこの作品でまず驚かされ、少々がっかりでもあった点である。
 そのかわり、お話としてはなかなかに面白い。(解説でも指摘されているが)ストーリーとしてはかなり大時代的な雰囲気が強いのだが、そうはいってもなかなか面白く読ませる力のある作品だと思う(古風な型通りの展開のおかげで、という面もあるかもしれない)。その点でいまだにこの作品の名前が残り、読み続けられているのだろう。
 考えてみるとそのような大仕掛けのストーリー展開が各キャラクターの個性を殺しているのかもしれない。あるいはストーリーを際立たせるために人物を目立たせないようにしたのか。『大いなる遺産』は、ピップの謎の遺産相続を一本の縦糸に、様々な人物が絡み合う一種の群像劇のような作品である。遺産相続のお話だけではおそらく小説としてほとんど成り立たなかったのではないかと思う。そういう意味で『二都物語』と『大いなる遺産』は結構対照的な作品なのかもしれない。(ちなみに個人的には『大いなる遺産』のアプローチの方が好きである)
 『千年の愉楽』の中で解説の話を少し書いたが、この本(新潮文庫版)も解説はなかなか面白い。悪口、とまではいわないまでも結構厳しい書き方をしているのである。例えばラスト近くのシーンについて「この場合などは、まったくお義理で、無理で、だれている。ひどいアンチクライマックスである。井目風鈴中四目の碁のようで、ひどくていねいではあるが味気ない。」あるいは「また一応フランス革命を舞台にはしているが、さりとて社会史的な史眼などをこの作品に求めたら、おそらく大失望であろう。」一番ネガティブな文章を抜粋しただけで、もちろんけなしてばかりというわけではないのだが、一応商品である小説の解説にこういうことを書いているというのは非常におかしくて、面白かった。一風変わった解説文としてなかなか興味深い。
 結構厳しい指摘も多いが面白い作品であるということは間違いない。解説で「史眼のある」作品としてアナトール・フランスの『神々は渇く』やバルザックの小説があげられているが、それらとは桁違いに取っ付きやすく読みやすい小説である(そういう意味では確かに視点が全然違う)。是非一度、気楽に読んでもらいたい作品である。



「もし今夜あなたがですよ、ほんとに心からあなたの寂しい胸に、『ああ、俺は結局、誰一人人間の愛情も、感謝も、尊敬も得ることができなかった。結局俺は、誰の胸にもなつかしい思い出を残すことができなかった。思い出を残すような、何一ついいことも、役に立つこともしなかったのだ!』などということをおっしゃるんでしたら、それこそ七十八年の生涯なんてものは、そのまま七十八の恐ろしい呪いだったと言ってもいいんじゃないでしょうか?どうでしょう?」
「そうだ、カートン君。そのとおりだ。そんなものだろうねえ」

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