ディケンズ 『大いなる遺産』

「ジョー、さようなら!」
「元気でな、ピップ!」
 私はいままでいちども彼と別れたことがなかった。で、自分の感情やら石鹸水やらで、はじめのうちは馬車の中から星を見ることができなかった。しかし、星はやがてひとつひとつ、きらめきだした。でも、自分はなぜミス・ハヴィシャムの家へ遊びにいくのか、またいったいぜんたいなにをして遊ぶのか、という疑問については、すこしも光明を投げてはくれなかった。

- ディケンズ 『大いなる遺産』 -




写真 貧しい少年ピップが謎の人物から莫大な遺産を相続する顛末をユーモアと強烈な風刺とペーソスを交えて描く、イギリスの文豪ディケンズ後期の代表作。
この作品の最大の特徴は起伏のあるストーリーによるドラマ性と、作品に含まれる風刺や皮肉、ペーソスの見事な融合にあるだろう。単なる「楽しい読み物」ではなく、社会や人間に対する様々な風刺が効かせてある作品であり、逆に単なる風刺劇ではなく、豊かな個性を持った様々な人々の織り成すすばらしい人間ドラマである。
 その最大の成因はたくさんの登場人物の造型にあるといえるだろう。それぞれの登場人物は非常に多様な個性にあふれているのだが、決して非人間的なおとぎ話の人物ではない、とても人間的な魅力のある人物となっているのである。例えばロンドンへ旅立つピップがビディに対し「それは人間性の悪い一面だ」ということを「熱心に」繰り返すシーンでも、主には皮肉な印象を受けるシーンなのだが、それ以外にもビディへの同情や、「熱心に」繰り返すピップへのほのかなユーモア(皮肉と似たり寄ったりであるが)などさまざまな感情を感じることが出来る。それは単なる皮肉を描こうとしているのではない、人間のドラマであるからこそ感じることが出来る複雑な気持ちなのではないかと思う。
 そのようなシーンは枚挙に暇がない。後半で非常に印象的なウェミックの結婚式のシーンも、それまで様々に語られるウェミックや老人の人となりに負うところが大きいし、またそのウェミックの人物描写も、これまたさらに特徴的なジャガーズとの掛け合いなどがあってこそ、活きてきているところがある。その他様々な魅力的な登場人物たちがいるが、くだくだしく書いても仕方がないだろう。読めばすぐに分かることである。

 これまでディケンズというとイギリスの大文豪とはいえ、「大衆的」というどちらかというとネガティブなイメージを持っていたのだが(『クリスマス・カロル』なんかがそういうイメージの代表であろうか)、この作品では見事にそのイメージを覆された(ただディケンズはせいぜい『オリバ・ツイスト』くらいしか読んでいなかったので、漠然とそうしたイメージを持っていただけであるが)。読みやすく、また読んで非常に面白い作品であるという点では、まあ大衆的と言っても良いのかもしれない。しかしその奥にとても深い人間についての洞察や社会にたいする観察がふくまれており、これを大衆的な安っぽいお涙ちょうだいの小説と見ることはとてもできない。ディケンズという作家の偉大さが本当に良く分かる、すばらしい作品である。これからぜひディケンズの他の作品を読んでいきたいと思う。


「だがぼくはもっといわなくっちゃならんよ。なつかしいジョー、きっとあんたたちには愛する子供が生まれるだろう。そして、小さな子供のだれかひとりは、冬の夜など、このおなじ炉隅にすれるにちがいない。その子供は、そこから永久に立ちさったもうひとりの小さな子供のことを、あんたに思いおこさせるだろう。だが、ジョー、その子には、ぼくが恩知らずだったとはいわないでくれ。ビディ、その子にぼくが卑劣で不当だったとはいわないでくれ。その子にはただ、あんたがたふたりがあんなにまで親切に、誠実にしてくれたので、ぼくはあんたがたふたりを尊敬していたと、それから、その子はあんたがたの子供なんだから、自然と、ぼくよりかずっと善良な人間になるだろうと、ぼくがいっていたと、ただそれだけいっておくれ」

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