谷崎潤一郎 『痴人の愛』

「じゃあ仕方がない、友達のキッスでもしておくれよ」
「大人しくしていればして上げるわ、だけども後で気が変になりやしなくって?」
「なってもいいよ、もうそんな事を構ってなんかいられないんだ」

- 谷崎潤一郎 『痴人の愛』 -




写真 「悪魔主義」谷崎潤一郎の代表作。カフェの女給から見い出した美少女ナオミに取り憑かれ、破滅へ進んで行く男の物語。
この小説を読んでまず一番意外であったのが、その文章である。『春琴抄』『盲目物語』『少将滋幹の母』と文章芸術の極致のような、谷崎潤一郎の作品を読んできたため、この作品の文章は非常に平凡に感じてしまった。むろん文章に難があるというわけでは決してなく、非常に読みやすい良い文章であることは間違いない。ただ「文章を読んでいるだけで幸せ」というような素晴らしいものでもない。
 そのかわりこの作品では、「これが谷崎作品である」という神髄の一つを見ることができる(文章ももう一つの神髄であるが)。『春琴抄』などは「語り」の効果を高めるために主題・展開は非常に押さえて、控えめにしてあるのだが、こちらは「自らが見い出し育て上げた美少女に逆にのめり込み破滅して行く」という、「悪魔主義」「耽美主義」らしい主題が全面に押し出されている。
 この『痴人の愛』の主題はかなり読んでいて強烈な印象を受ける。むろん現代においてこれよりももっと過激なものはいくらでもあるが、この作品は変に生々しい雰囲気をもっている。主人公の譲治がとても平凡な、どこにでもいそうな人物として描かれているのが一つの要因であろう。地方出身で東京で真面目に働きあだ名は「君子」、しかし平凡な結婚生活はしたくない。いかにもどこにでもいそうな人物である。ただ、そういう平凡な人物ばかりというわけではなく、逆にナオミの方は非常に象徴的・偶像的に描かれている、いかにも創造上の人物である。(この作品はナオミを崇拝する譲治の一人称で進められるため、ナオミが神のような存在になったということも言えるが)単に「よくいる人物」を配したのではなく、「身近な人物」と「神のような存在」を組み合わせたことにより、「そこら辺によくある物語」を脱し、かつ、なんとも生々しい雰囲気を持つ作品に仕上げることが出来たのだと思う。「誰もが持っている心の闇の中の欲望や弱さ」を象徴的に描き出した谷崎流の「狂人日記」と言えるだろう。譲治を完全に否定しうる人間なんていないのではないだろうか。
 しかし今読んでもかなり動揺してしまうような作品を、いわゆる大正モダニズム真っ盛りとはいえ、80年も昔に世に出した谷崎潤一郎という作家は本当にすごいと思う。「悪魔」主義と言われるだけのことはあるだろう。本当に大変な作家であると改めて感じさせられてしまう。

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