谷崎潤一郎 『少将滋幹の母』

 ・・・自分はそれに気が付くにつれ、もし適当な相手があって、この気の毒な、いとしい人を、今の不幸な境涯から救い上げ、真に仕合わせにしてやることが出来るのであるなら、進んでその人に彼女を譲ってやってもよい、いや、譲るべきが至当である、と思うようになったのであった。どうせ自分の余命はいくばくもないのであるから、晩かれ早かれ、彼女にそう云う運命が廻って来ることであろうけれども、女の若さと美しさにも自ずから限りがあることを思えば、彼女のためには一日も早くそうなった方がよいのである。自分も彼女から死ぬのを待たれているくらいなら、今から死んだつもりになって、彼女の半生を明るくしてやりたい。恋しい人をこの世に遺して死んだ人間が、草葉の陰からその人の将来を絶えず見守ってやるように、自分は生きながら死んだと同じ心持になるのだ。そうしてやったら、彼女も始めて、この老人の愛情がいかに献身的なものであったかと云うことを、理解するであろう。その暁にこそ、彼女はこの老人に向って無限の感謝と万斛の涙をそそぐであろう。彼女はあたかも、故人の墓に額ずくような気持で、あああの人は私のためにこんなに親切にしてくれた、ほんとうに可哀そうな老人であったと、泣いて礼を云ってくれるであろう。自分はどこか、彼女からは見えない所に身を隠して、余所ながら彼女のその涙を見、その声を聞いて余生を送る。その方が、いとしい人から恨まれたり呪われたりして暮すよりは、自分としてもどんなに幸福であるか知れない。・・・

- 谷崎潤一郎 『少将滋幹の母』 -




写真 老大納言国経の北の方を左大臣藤原時平が奪取した事件を題材に、その夫、愛人、息子など北の方にまつわる男たちの運命を描き出す。
 谷崎潤一郎の作品らしい「語り」のテクニックを十二分に味わうことのできる名作。
 この作品は北の方に関わる男たちの様々な運命が語られるのだが、面白いのはその語りの視点が一定していないことである。タイトルが『少将滋幹の母』なので少将滋幹が中心人物かと思いきや、物語は当初平中の好色物語から始まり、時平に力点が移り、さらに老大納言へと物語の中心が移動していく。また語りの調子も、小説の作者としての三人称的な文章と、登場人物の独白に近い一人称半的な文章とを、ないまぜて使っている。
 普通、構成も文章がこのように統一を欠いた状態では、小説そのものも中心を欠いたしまりの無いものになりかねない。しかしこの作品は、まとまりがないどころか、実に読みやすくそして面白い小説に仕上がっている。それは、もう何度も繰り替えしているが、ただ作者の文章力、テクニックによるものである。こればかりは、どこがどうと言えるものではない。読めばわかると思う。
 この小説でもう一つ興味深いのは、物語の中心人物である北の方についての描写が実に少ないことである。まあ、無いと言ってもいいだろう。御簾の影に隠れた「絶世の美女」という非常に偶像めいた、まるで神か仏のような存在の北の方を中心において、地位も年齢も門地も様々な男たちの思いや行動を描く、というのは、いわゆる「悪魔主義」谷崎潤一郎の作品らしくて面白い。
 とにかく、一度読んでみることである。文章、小説というものに対する見方が変わるのではないかと思う。


 ・・・昨夜は一時の興奮に駆られて、孤独なんか恐くはないような気がしたけれども、今朝覚めてからの数時間でさえこんなに辛いのに、これからずっとこの淋しさがつづくとしたら、何として堪えて行けるであろう。
 国経はそう思った途端に、涙がぽろぽろとこぼれて来た。老いれば小児に復ると云うが、八十翁の大納言は、子供が母を呼ぶように大きな声で泣き喚きたかった。

- 谷崎潤一郎 『少将滋幹の母』 -

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