ペディエ編 『トリスタン・イズー物語』

「その蜃気の壁はもうとうにやぶれてしまいました。ここはその神秘の園生などではありませぬ。けれど恋人よ、いつか二人は行けばもう永久にかえれぬ幸福の国にまいりましょう。そこはまっ白い大理石の城が高く聳えています。百千とある城の窓には、一つ一つにろうそくの光がかがやき、伶人はつきせぬ曲をかなで歌っているのです。そこでは太陽はかがやきませぬ。けれど何人もそれを憂いはしませぬ。そここそ人間の幸福の世界です。」

- ペディエ編 『トリスタン・イズー物語』 -




写真 ワーグナーのオペラでも有名なヨーロッパ中世を代表する古典文学。愛の秘薬を誤って飲んでしまった王妃とその義理の甥の騎士との、恋物語をえがく。
 これはヨーロッパ中世の伝説的な古典を19世紀末に再編した作品であるが、非常に古典的なつくりを持っているのが特徴的である。この作品の良さはなんといってもそこであろう。いかにも古典らしいシンプルな、しかし力強い文章は、十分に読む価値があると思う。秘薬による宿命的な永遠の愛とそれによる死という、非常にドラマチックな主題はいかにも詩的な雰囲気を持っている。ペディエはこの物語をテーマにした様々な叙事詩などの断片を集めてこの作品にまとめあげたのだが、決して無闇な修飾に走らず、神話的な雰囲気も感じさせる素朴な文章を保っているのは見事である。ドイツの古典叙事詩『ニーベルンゲンの歌』にも似た雰囲気を持っているように思う(こちらはずい分昔に読んだきりなのでほとんど覚えてはいないのだが)。
 文章の話ばかりになってしまったが、中世からずっと親しまれている作品だけあって、内容もとても面白い。その単純な文章のおかげでスラスラと読める娯楽性の高い作品でもある。またこの作品の、宿命に突き動かされる男女の破滅をも恐れぬ盲目的な愛と、その愛による死、という主題は中世ヨーロッパの精神形成に重要な役割を果たしていると言われているので、そういう観点から読むのもなかなか興味深いのではないかと思う。
 なんにせよ、とりあえず、読んで面白い作品である。あまり深いことは考えずに読んでみたら良いと思う。またこれを読んでワーグナーの『トリスタンとイゾルテ』を聴いてみるのも面白いだろう。(自分はまだ聴いたことがないのでぜひ今度聴いてみようと思っている)

 恋人はいずれか一方がいなくては生くることも、死ぬこともできなかった。
 別れていることはそれは生でもなく、死でもなく、生と死とのかたまりであった。

- ペディエ編 『トリスタン・イズー物語』 -

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