アポロドーロス 『ギリシア神話』

 天空が最初に全世界を支配した。大地を娶って先ず「百手巨人」と呼ばれるブリアレオース、ギュエース、コットスを生んだ。その大きさと力は比類なく、おのおの一百の手と五十の頭とをもっていた。これらの巨人の後に大地は彼にキュクロープスたち、すなわちアルゲース、ステロペース、ブロンテースを生んだ。そのおのおのは額に一眼をもっていた。しかし天空は彼等を縛してタルタロスへと投げ込んだ。これは地獄の中の暗陰な、大地と空との距離だけ大地より離れているところである。されに彼は大地によってティーターン族と呼ばれる子供たち、すなわちオーケアノス、コイオス、ヒュペリーオーン、クレイオス、イーアペトス、および末弟クロノスを、またティーターニスと呼ばれる娘たち、すなわちテーテュース、レアー、テミス、ムネーモシュネー、ポイベー、ディオーネー、テイアーを生んだ。

- アポロドーロス 『ギリシア神話』 -




写真 紀元前1、2世紀の人アポロドーロスによって編纂された「原ギリシア神話」とでもいうべき書物。昔「本当は恐いグリム童話」などという本がはやったが、いわば「本当は恐いギリシア神話」とでもいうべき内容である。
 『日本に紹介せられたギリシア神話は主としてかかるものなのであって、例えばエンデュミオーンとかナルキッソスとかいうような、ギリシア神話英雄伝説の本筋からいえば大して重要ではないヘレニズム式恋物語が多く、かえってその中心となるべき諸英雄家の系譜はおろそかにせられ、なんということなしに甘ったるい肉感的なものに堕してしまっている。これは要するにオヴィディウスによって代表せられる、あの現世的な、感傷的な、甘美な、ややペシミスティクな神話以上の何ものでもない。
 これに反してアポロドーロスの伝える神話伝説は遥かに峻厳な、時としては近代的感情にはあまりにも酷な、野蕃なものが多いのである。この書の中に語られている英雄伝説はその代わりに真の意味での古典時代ギリシアの伝承を真面目に、忠実に伝えている。』(まえがきより)
 この小説のポイントの一つはそこにある。例えばヘラクレスの伝説というと十二の仕事が語られて、すぐにネッソスとデーイアネイラによる死に進むものだが、この本の中では仕事が完了してエウリュステウスから解放された後、様々な土地を攻略して回ったことがたくさん述べられている。その中でホメロスの『イーリアス』の舞台となったトロイアーもヘラクレスが攻略したことなどが述べられているが、これは日本のギリシア神話の中ではあまり語られていないことだろう。この際にトロイアーの王ラーオメドーンの息子達の中でただ一人生き残ったのがポダルケース、『イーリアス』時代のトロイアーの王プリアモスである。
 このプリアモスの例もそうであるが、この小説のもう一つの価値がギリシア神話の中で複雑にからみ合った人物の系譜である。とにかく異常に登場人物が多く、登場人物達の系譜も出現場所もぐちゃぐちゃにからみ合っている。巻末の登場人物名の索引だけで66ページもある。索引1ページあたり40人弱の名前が乗っているので単純計算で2600人もの名前が登場する。(アルゴー船の乗組員全員の名前とか、アイギュプトスとダナエーのそれぞれ50人の子供の名前とか)その系譜などの史料的な価値は非常に高いのではないかと思う(それが真実とか嘘とかそういうレベルではなく)。
 ただし、それが特徴とはいえ、いくらなんでも登場人物が多すぎて読むのに非常に苦労するのは確かである。またただでさえ分からないギリシア周辺の地名が、ころころと変わりながら次から次へと出てくるので、よけいに読むのに苦労する。自分のような斜め読みをしていては、まず理解しきれない内容なのだが、逆に地図を見たり系譜を書いたりして詳細に読み進めると非常に面白いのではないかと思う。労力も時間もかかるので自分にはとてもできる作業ではないが。
 ストーリーを追っかける自分のような人間には少々辛い本なのだが、観点をかえると非常に面白い本だと思う。ギリシア神話の本当の姿を知りたい、詳細に読んでみたいという人にはとても価値のある作品になるだろう。非常に「岩波文庫」らしい一冊である。
 ちなみに「ギリシア神話らしいギリシア神話」が読みたければ、同じく岩波文庫の野上弥生子訳の『ギリシア・ローマ神話』(ブルフィンチ作)がお勧めである。ギリシア神話に附随する外伝的な物語「ヘレニズム式恋物語」が多くおさめられており、読み比べるとなかなか面白いとおもう。


  大地はタルタロスに投げ込まれた子供たちの破滅に心平らかならず、ティーターンたちにその父を襲うように説き、クロノスに金剛の斧を与えた。彼らはオーケアノス以外は父を襲った。そしてクロノスは父の生殖器を切り放ち、海に投じた。流れる血の滴りより復讐女神アレークトー、ティーシポネー、メガイラが生まれた。父の支配権を簒奪し、タルタロスに投入せられた兄弟を連れ戻し、クロノスに支配権を委ねた。

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