丸谷才一 『女ざかり』

 席に戻ると、もう南弓子はゐないが、浦野はそれを、恋心を隠さうとしての可憐な態度と取らうとした。そして解釈の線をかう決めれば、華奢な感じは顔にも姿にもほのかにしか残つてゐない代りにどこかの男の丹精でよく熟れた四十女が、少女のやうにあえかなものとして心に迫つてくる。彼は叙情的な気分になつた。
しかし浦野の叙情は、人手が足りないときに整理部長が自分でつける見出しよりももつと俗悪だつた。彼は帰り支度をしながら、縫ひぐるみのシロベエを見るともなしに見てゐるうちに、ふと、大学出の女と寝るのはこれが最初になるわけだと思つたのである。

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写真 新聞の論説の内容がもとで政府から圧力をかけられ、論説委員の職を追はれやうとしてゐる女記者と、政府との攻防を描くベストセラー小説。
 新聞社の創業から問題の論説室まで流れるやうな文章で運んでいく導入部、溢れる雑学とユーモア。まさに丸谷才一の真骨頂ともいふべき小説。とにかく本当に面白ひ。
 ごく正直なところを言はせてもらふと、ストーリー自体はさほど面白みがあるわけではないやうに思ふ。論説に関する攻防がストーリーなのだが、さほどの攻防があるわけではない。得体の知れない圧力、調査、敵の判明、反撃、で一件落着となる。「攻防」がどうなるか、といふ目で見てゐると少々物足りない感じがする。
 しかし、それを補つてあまりあるのが、丸谷才一の軽妙な、実にうまい文章と、随所に挿入される雑学である。これはとにかく面白い。比喩ではなく、小説を読んでゐる間中ずつと、にやにやとさせられてしまふ(ゲラゲラと笑うやうなユーモアではない)。雑学を詰め込むのに一生懸命すぎて、肝心のストーリーが少々おろそかになつてゐるやうな気もするが(憲法廃止論議のところで憲法廃止とは本質的にはあまり関係のない贈与学の話をえんえんとしてみたり)、ストーリー的に破綻してゐるところがあるわけではなく、十分に楽しむことができると思ふ。
 とにかくこの作品に関してはあれこれ議論をするよりも、まず読んで楽しむべきものだらう。読み終はつた今、適当にページを開ひて文章を読んでみても、面白い文章ばかりで、つひ読みこんでしまふほどである。とりあへず「面白い本が読みたい」といふ人にお勧めの小説だと思ふ。

(丸谷才一にならって旧仮名遣いで書いてみたのだが、間違っていたらごめんなさい。しかし旧仮名遣いを使うのに旧漢字を使わないというのはなぜだろうか?旧仮名遣いよりも旧漢字を失ったことの方が日本語的には影響が大きいように思うのだが。文庫本だから漢字のみ置き換えた、というわけでも無さそうだし。かなり不思議である。)


 弓子はただ笑つている。何も答へない。まるで宇宙のやうにそれとも首相公邸の坪庭(見たことないけれど)のやうに混沌としてゐて意味ありげで不可知的なその謎めいた表情を読まうとして、ちつとも読めないまま、哲学者はそのとき、発作的に、ああ何とかして癌以外の病気になつて死にたいものだと願つた。何か別の病気なら、約束の該当を免れて、あの悲劇的な情景は出現しないと推定したのである。何と形式論的な。何と軽率な。そのとき彼の意識においては、心筋梗塞、クモ膜下出血、脳卒中、筋萎縮性側索硬化症、強皮症その他、癌以外の病気による急激な死、緩慢な死のかずかずが未来を薔薇いろに染めてゐた。

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