マルキ・ド・サド 『美徳の不幸』

「もちろんさ、昔から金持でなんぞあるものか。だが、俺は運命を制御することを覚えた、首ッ吊りと施療院行きが関の山の、辛気くさい美徳の幽霊を足下に踏みにじることをおぼえた。宗教と慈善と人情とは幸運を熱望するすべての者にとって、確実な邪魔者でしかないことを早くから理解した。そしておれは、数ある人間の偏見の残骸の上に、おれの幸運を打ち建てた。おれは神と人間の掟を嘲笑し、行く手に邪魔者としてあらわれる弱者はすべてこれを犠牲にし、他人の善意と信頼とをことごとく裏切り、貧者を滅ぼし金持ちを盗み、かくすることによって、おれの礼拝する神の鎮座する険阻な寺院に登りつくことをえたのだ。しかるにおまえはどうだ?どれだけおれと似ているかね?おまえの幸運もかつてはおまえの手中にあったのだ、しかし、おまえの選んだ幻影に等しい美徳なるものは、おまえの払った犠牲を慰めてくれただろうか?もう遅い、あわれなやつめ、もうおそいよ。うんと泣くがいい、おまえがわるいのだ、苦しむがいい。そして、幻影にとらわれた身にそれが可能ならば、せいぜい努力して、おまえの盲信が失わせたものを取り返そうとするがいい」

- マルキ・ド・サド 『美徳の不幸』 -




写真 マルキ・ド・サドの(おそらく)最初の「違法の」小説。「違法の」といっても、最初の小説のせいか内容は非常にマイルドである。まあこれは「適法の」小説『恋の罪』の中に収められる予定だったらしく、本当に「違法の」小説を意図していたかは不明であるが。まあ、何はともあれ後の明らかに「違法な」小説『新ジュスティーヌ』『悪徳の栄え』に続く元となった作品である。
 内容は非常にマイルドと書いたが、この作品は『恋の罪』と同じようにしっかりとした小説として書かれていると思う。「違法の」小説などはほとんど「奇人変人大会」に近く、小説の体をなしていない感があるのに対し、これはよくまとまっているといえる。
 そもそもこの小説はバスチーユ監獄の中で書かれ、出版されずに100年以上も歴史の闇の中に葬られたものである(革命の騒ぎで紛失したらしい)。この小説の発見が20世紀に入ってのサド再評価のきっかけとなったらしいが、それも納得できる小説だと思う。残った小説が『ソドム百二十日』のような「違法の」小説だけだったら、やはり「危険な変質者」で終わってしまったのではないだろうか。
 ところでこの小説(河出文庫)は親切なことに、『美徳の不幸』本編のあとに、この作品の発展系である『新ジュスティーヌ』(『美徳の不幸』は『原ジュスティーヌ』である)の一部(「ジェローム神父の物語」)を載せてくれている。『原』から『新』へどのような変化を遂げたか良くわかる。
 まあ読めばわかることであるが、『美徳の不幸』(『原』)のほうは不幸といっても、想像しうるレベルの不幸であると思う。様々な不幸が「美徳」をおそうわけであるが、一つ一つの不幸はそれほど「奇怪」なものとは言えないと思う。それに対して『新ジュスティーヌ』のほうは・・・。読んでみればわかる。


 この愛すべき独身者たちの間で観察した種々様々な情欲のうちで、もっとも奇想天外に思われたものは、修道院の院長クリソストム師のそれであった。彼は毒をのまされた娘としか関係しないのである。苦痛の痙攣がつづいているうちに娘を裁尾し、そのあいだ、二人の男が代わる代わる院長を裁尾したり鞭打ったりする。もし娘が行為中に息絶えなければ、彼は自分が終ると同時に、娘を短刀で突き刺して殺す。もし娘が死にそうな様子を見せたら、彼は断末魔の瞬間を待って、娘の尻に腎水を注ぎこむ。

- マルキ・ド・サド 『新ジュスティーヌ』より『ジェローム神父の物語』 -

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