谷崎潤一郎 『刺青・秘密』

 丁度四年目の夏のとあるゆうべ、深川の料理屋平清の前を通りかかった時、彼はふと門口に待って居る駕籠の簾のかげから、真っ白な女の素足のこぼれて居るのに気がついた。鋭い彼の眼には、人間の足はその顔と同じように複雑な表情を持って映った。その女の足は、彼に取っては貴き肉の宝玉であった。拇指から起こって小指に終る繊細な五本の指の整い方、絵の島の海辺で獲れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合い、珠のような踵のまる味、清冽な岩間の水が絶えず足下を洗うかと疑われる皮膚の潤沢。この足こそは、やがて男の生血に肥え太り、男のむくろを蹈みつける足であった。この足を持つ女こそは、彼が永年たずねあぐんだ、女の中の女であろうと思われた。

- 谷崎潤一郎 『刺青・秘密』 より『刺青』 -




写真 谷崎潤一郎の初期の短編集。
 今まで読んできた谷崎作品は比較的後期の作品が多かったので、初期の作品という意味でなかなか興味深い点が多かった。特にこれらの作品はいわゆる「悪魔主義」的色彩が強く、単純に「いかにも谷崎潤一郎」という感じがして面白い。『痴人の愛』に比べ、より直接的なフェチシズム・マゾヒズムの傾向が強い。なるほどこれが「悪魔主義」なのだな、というのがよくわかった。
 また後期の作品に比べて(当たり前なのだが)文章の表現力が低いというのも面白い。拙いとは決していえないが、後期の文章の深み,味わい,リズムなどと比較すると、こちらはいかにも普通の小説に感じられてしまう。大谷崎といわれる作家でも若い頃があったのだな、と妙に感心させられてしまった。作品のテーマにしても、初期(この作品集)にみられる直接的・肉体的な倒錯的感情から、より深い(?)心理的な倒錯へと進んでいるような感じがして、こちらも年齢や経験による変化を感じることができ、興味深いと思う。
 これらの作品でもう一つ面白かったのが、明治・大正期の東京(東京「市」である)の街の様子である。水天宮,人形町、浅草,上野・・・いわゆる本当の「江戸」地域の様子が様々に活写されている。「渋谷だの大久保だのという郊外」(『秘密』)などという表現も、まあ知識としてはわかっていても、こう普通に表現されるとはっとさせられてしまう。最近古地図がブームだというが、古地図と一緒にこういう作品(永井荷風の『墨東綺譚』あたりもそうだろう。読んでないが。)を読みながら東京の下町を歩くとより実感がわくのではないだろうか。
 作品の内容そのものよりもその周辺に関する感想が多くなってしまったが、内容そのものもなかなか面白い。特に『刺青』『少年』のような、いかにもという作品の他に、自伝的な『異端者の悲しみ』、漱石の『夢十夜』を想起させる『母を恋うる記』(これが一番好きな作品である)など、収録作品が多種多様なところが良いと思う。谷崎ファンならずとも十分に楽しめる短編集と言っていいだろう。


 ……空はどんよりと曇って居るけれど、月は深い雲の奥に呑まれて居るけれど、それでも何処からか光が洩れて来るのであろう、外の面は白々と明るくなって居るのである。その明るさは、明るいと思えば可なり明るいようで、路ばたの小石までがはっきりと見えるほどでありながら、何だか眼の前がもやもやと霞んで居て、遠くをじっと見詰めると、瞳が擽ったいように感ぜられる、一種不思議な、幻のような明るさである。何か、人間の世を離れた、遥かな遥かな無窮の国を想わせるような明るさである。そのときの気持次第で、闇夜とも月夜とも孰方とも考えられるような晩である。

- 谷崎潤一郎 『刺青・秘密』 より『母を恋うる記』 -

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