ソルジェニーツィン 『イワン・デニーソヴィチの一日』

「ここの法律はな、密林だ。だがここにも人間はいる。ラーゲリでだめになるやつは、いいか、食器をなめる奴、医務室をあてにする奴、それから特高にご注進に及ぶ奴だ。」

- ソルジェニーツィン 『イワン・デニーソヴィチの一日』 -




写真 「伝統のロシア文学の復活」とたたえられた大名作。
 マローズ(極寒)に閉ざされたシベリアのラーゲリ(強制収容所)の一日を描いた小説であるが、この小説のすばらしいところは決して「ラーゲリの非人道的な内状の告発!」などというキワモノ系の内容になっていないということ。ラーゲリの日常生活についてはごく淡々と、ありふれたことのような描き方をしている。
 むしろ描かれているのはラーゲリの中に暮らす、多種多様な人々である。主人公は平凡な農民であるが、周りには元海軍大佐がいて映画のカメラマンがいて、元パルチザンの闘士がいる。エストニア人がいてラトビア人がいて、モルダビア人がいる。これら様々な人物が実によく描かれている。たくさんいるのでさすがにそれぞれをていねいに描いてあるわけではないが、彼等が織り成すラーゲリの中の社会構造が実によく分かると思う。
 ラーゲリの中の社会はまさに当時のソ連の縮図と言えるだろう。様々な民族によって構成された他民族国家。そして支配者、被抑圧者、そして支配者に取り入る狐たちによって作り上げられる階層構造。当時のソビエトの社会をかたちどるシステムがその中では如実にあらわれている。
 ラーゲリの中の悲惨な状況を悲劇的に書いて、あるはおもしろおかしく書いて、それなりに読ませる本を書くことは割合簡単だと思う。なんといっても題材に力があるのだから。しかしそれによって、時代を超えて読まれるだけの名作を作ることは難しい。スターリンの専制政治どころかソ連自体が歴史の中に消えてしまった今となっては特に。そんな時代によって色褪せるような弱さはここにはない。名作である。
 ところでこの本はじつは2冊目の購入だ。新潮文庫版を持っていたのだが、岩波があるのを知ってつい買ってしまった(古本だが)。それくらい自分にとって「岩波」のブランドイメージは強い。とは言うものの、翻訳的には新潮の方が良いかもしれない。本箱の奥から引っぱり出してきてわざわざ比較をする気はないし、新潮版を読んだのは5年くらい前なのでなんとも言いがたいが、岩波版は少し翻訳が柔らかすぎるかもしれない。まあ好きずきであるが。


  眠りにおちるとき、シューホフはすっかり満足していた。一日の間に今日はたくさんいいことがあった。営倉にはいれられなかったし、班は「社・主団地」へやられなかったし、昼めしのときにカーシャを一杯せしめたし、班長は作業パーセント計算をうまく〆たし、シューホフは壁を楽しく積んだし、検査で鋸をみつけられなかったし、夕方はツェーザリでひと儲けしたし、タバコを買ったし。それから、病気にならずに直ってしまった。
 一日が過ぎた。暗い影のちっともない、さいわいといっていい一日だった。 

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