村上春樹 『遠い太鼓』

  ある朝目が覚めて、ふと耳を澄ませると、何処か遠くから太鼓の音が聞こえてきた。ずっと遠くの場所から、ずっと遠くの時間から、その太鼓の音はひびいてきた。とても微かに。そしてその音を聞いているうちに、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。

- 村上春樹 『遠い太鼓』 -




写真 旅に出たい、とよく思う。常に考えている。考えただけで、頭が呆然とする。胸がふさがる思いがする、千一夜風に言えば胸の狭まる思いがする。
 『遠い太鼓』はしばらくタブー視して手に取るのをためらっていた本だ。旅行記だというのを知っていたし、旅行記なんかを読んだらどんな気分になるのか果てに取るように分かったし、どんな行動を起こすか見当もつかなかったからだ。
 結果として−ここからは割と実際的な話になるが−そんなことはなかった。割と気軽に読める、気軽な感じのエッセイだ。気軽に読んでみると良い、という感じである。読みやすくてすいすいと読める(本当に読みやすい)し、視点も語り口もさすがに面白い。厚い本を見ると読む気がしなくなるという人がいるようだが(そしてこの本は文庫で570ページある)、決してこれはそんな長さを感じさせない本だと思う。そんな感じだ。


 歳をとることはそれほど怖くはなかった。歳を取ることは僕の責任ではない。誰だって歳は取る。それは仕方のないことだ。僕が怖かったのは、ある一つの時期に達成されるべき何かが達成されないままに終わってしまうことだった。それは仕方のないことではない。
 それも、僕が外国に出ようと思った理由のひとつだった。日本にいると、日常にかまけているうちにそしてそうしているうちに何かが失われてしまいそうに思えた。僕は、言うなれば、本当にありありとした、手応えのある生の時間を自分の手の中に欲しかったし、それは日本にいては果たしえないことであるように感じたのだ。 

- 村上春樹 『遠い太鼓』 -


 ・・・達成されるべきことってなんだろう。分からない。でも行けば分かる、いや行った先で見つけることができるかも知れない・・・でも一つ言えるのは、生の実感というのは日本では永遠に得られないだろうと言うことだ。
あの生々しい、手で触れて感じることができるような「生きている」感覚・・・それも手に入れるべき何かの一つなのではないだろうか。そして・・・旅に出るのだろうか。

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