安部公房 『燃えつきた地図』

 「彼」・・・どんな祭りへの期待にも、完全に背を向けてしまった、この人生の整理棚から、あえて脱出をこころみた「彼」・・・もしかしたら、決して実現されることのない、永遠の祝祭日に向かって、旅立つつもりだったのではあるまいか。

 ある日、ふと、どこかの壁か電柱に貼られた、一枚のポスター−風雨にさらされ、色あせて、誰の目にもとまらなくなった、大祝祭日を告げる一枚の貼り紙−場所や日時の項が空白であることに、かえって希望をふくらませ、その予告だけの祭典を求めて、二度と振り返ることもなく・・・闇とネオンの下でしか、化粧をごまかせないような、夜毎の模擬祭典などとは違い、死によってしか終わることのない、永遠の祝日に向けて・・・もし、祭りの儀式に闇が欠かせないものなら、永劫に終わることのない、夜だけの世界・・・祭りの後の、疲労や、哀しみや、風に舞う紙屑などとは、いっさい縁のない、無限の演舞の輪の中へ・・・

- 安部公房 『燃えつきた地図』 -




写真 安部公房は良くカフカと比較される。が、公房とカフカは全然違っている、と思う。カフカは拡散し、希薄になって消えるのに対し、公房は凝集し、収束して終わる。
 まあカフカとの比較はどうでも良いことだが、この『燃え尽きた地図』はまさにそういった安部公房のスタイルの代表的な作品である。
 とはいうものの実はこの作品、そんなに面白いとは思わない。安部公房の小説は、テーマや、設定、持って行き方が難解な感じがするものが多い割にそんなことを気にさせないほど面白いのだが(例えば『他人の顔』なんて難しそう、だけど面白いし、『箱男』もしかり。そうは思わない人も多いと思うけど。)、これはどうもそうではないと思う。考えてみると、安部公房のよく使うSFチックというか、空想的な設定がこの作品には皆無に近いことがひとつ理由にあると思う。ごく日常的な風景を描いていて、しかもさしたる理由もないまま主人公が日常の迷路にじわじわと引きずり込まれていくというストーリーが、読者にとっては引き込まれる要素が今ひとつなのかなと。
 とはいうものの決してこれがつまらないというわけではない。あくまでも安部公房にしては、という個人的な感想だ。決して読んで損はない。とはいえ、『砂の女』や『方舟さくら丸』をまだ読んでいないなら、そっちが先、だろう。


 今「彼」はここに立ち・・・失ったものと、まだ手に入れていない希望の重さとを、秤りくらべ・・・どうするだろう?・・・

- 安部公房 『燃えつきた地図』 -

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