ホセ・エミリオ・パチェーコ 『砂漠の戦い』

 この世の空がどんなに高くても、どんなに海が深くても

- ホセ・エミリオ・パチェーコ 『砂漠の戦い』 -




写真 正直言ってこの作家は良く、というより全く知らない。読んだ小説もこの短編ただ一つである。
 でこの短編だが、読み出してすぐにびっくりしてしまった。実にうまい。特に第1章。外国人作家の場合は訳の力というか善し悪しも大きく影響してくると思うが、それを抜きにしても良い。たぶん訳も原文の書き口というかリズムを十分に活かすことができているんじゃないかと思う。そうでなければ訳の勝利であろう。
  正直なところ物語としてはそんなにすごいものではないと思う。ありきたりとまではいいたくないが、そう目新しいものではないと思う。文章としても読んでいくとはじめの新鮮さはなくなっていくだろうし、ちょっと長すぎるかもしれない。それでも1章(から3章くらいかな)はやっぱり好きだしすごいと思う。まあそういう不思議な小説である。
  ちなみに今気がついたのだが、この人は作家ではなく詩人らしい。確かにそうだと思う。この小説は読みどころは文章のリズムとそれによってよみがえってくる過去のメキシコの風景(32年後の回想という設定らしい)である。読んでいると自分には縁もゆかりもないはずのメキシコの描写が懐かしく感じられるのが不思議であり、またすごいと思う。ちなみに1章2章くらいは前置きとしてその時代が描写されている章であり、それが1章だけが好きという理由になるのかもしれない。
 この作家の(じゃない詩人だ)他の作品を読もうとは特に思わないが、1章のおかげでずっと覚えているだろう、そんな作品だ。


 わたしはアルバロ・オブレゴン通りを見つめた。そして、自分に言い聞かせた。この瞬間の思い出をこのままそっとしまっておこう。今あるものはどんなものでも、絶対に同じままであるはずがないのだから。いつか、まるではるか先史時代のできごとのように思うことになるのだ。すっかりしまっておこう。今日、僕はマリアーナに恋したのだから。どうなるんだろう?どうにもなりはしない。何かが起こるはずがない。どうしよう?ジムに会わないために、ということは、マリアーナに会わないために、転校する?同じ年頃の女の子を探す?でも、僕の年ごろじゃ、誰も女の子なんか探しちゃいない。できることと言えば、ひそかに、何も言わずに、恋することだ。ちょうど僕がマリアーナに恋しているように。恋すること。どうしようもない、まったく希望はないと知りながら。 

- ホセ・エミリオ・パチェーコ 『砂漠の戦い』 -

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