梅里雪山(神瀑)
その五 11/9
11/11(たぶん) 11:36 | 昆明行きバス内にて |
下関から瑞丽に行くつもりだったんだけど、さっき数えてみたら日程的に厳しそうなので、昆明まで行って昆明から景洪に行く予定に変更。
11/9。朝、朝焼けと月がきれいに見えた。エコーと俺と好人で7:30くらいに出発。黄虫は後から歩きで、他の三人(大雷、何剣、江妍)は馬の準備を待って後から出発。途中おとといのラムにあってしばらく一緒に歩き、途中で別れる。エコーと好人は疲れからかずいぶんゆっくり歩いていたので俺一人で先に進む。道は険しくないんだけど、途中河原に無数の藏族のマニ堆があったり、落ち葉の黄色と倒木や岩の苔の緑が美しい、自然の庭園のようなところがあったりなかなか面白かった。
徳欽からシャングリラに戻る山道は景色が本当に素晴らしく、日記を書く暇がないほどである。ただし常に片側は崖で、右に左にカーブが続くので少し怖い。特に中国の車は山道の見通しの悪いカーブでもクラクションならしながら平気で追い越しをかけるので恐ろしい。
11/9の続き。神瀑。ラムの店までの道のりはそれほど厳しくないのだが、そこから先は一路登りになっていてかなりきつい。登山連続四日目ということもあってさすがのエコーもかなりへばっていた。俺もちょっときつかったけどまだ大丈夫。
神瀑は藏民の聖地とあって十数人の藏民が来ていた。水はそれほど多くない。俺とエコーも彼らに倣って右回りに回って二筋の滝でそれぞれ頭を洗い口を漱ぐ。冷たい水でずぶぬれになって風邪をひくかと思ったけど、さすがに霊験あらたかな水だけあって大丈夫だった。好人は見てるだけだったけど、ここは見るだけではあまり面白くはない。ちなみに眼下には氷河が見えて下りられそうだったんだけどちょっと怖いのでやめた(後で知ったところによると杭州の胡哥は下りたそうだ)。ラムの店でしばらく休憩して下山。
宿に戻ると一足先に飛来寺に帰る予定だった大雷が待っていた。お腹を壊したらしい。昨日氷湖の水を飲んだせいだろう。彼は今日馬で神瀑に行ったのだが、ラムの店の辺りで馬を下りて神瀑まで登るべきところを、登らないでそのまま帰ってきたらしい。次にチベットの方に行くつもりだったらしいが、一度体を鍛えてから挑戦すべきだろうと思う。まあ彼は、神瀑自体は雨崩に着いたその日に一人で行っていたので無理に行く必要は無かったわけだが。
ここで好人とお別れ。大雷と好人と二人で馬に乗って西当に向かう。大雷は飛来寺で俺とエコーを待ち、好人はすぐシャングリラに行く予定。俺は洗濯したり酥油茶を飲みながら日記を書いたりして体を休める。
夜、大雷の友達の小リン(たぶん林)とエコーと三人で雨崩小学校へ。生徒九人の小さな小学校である。英語の教師の資格を持つエコーが先生と話をしたいというので。結果として話をすることはできなかったんだけど、小学校で食事を作っていた人たちに招かれて、夕食をごちそうになる。なかなかおいしかった。ビールと白酒までいただく。
10くらい前にシャングリラを通ったところ。シャングリラも面白かったけど、バタバタしていてゆっくり見て回る時間がなかったなあ。旅行のペースというのはやっぱり一人一人違うものだと思う。日記のも写真の整理もほとんど出来なかったし。
11/9の続き。小学校で食事した後向かい側のラムの家(正確には彼女も別のところから来て神瀑の店でアルバイトしてるだけらしいけど)に寄って酥油茶をいただく。エコーは数日前から雨崩、特に飄々の一階(今は馬小屋になっている)で酒吧を開きたいと言っていて、その件についてラムのお父さん(ラサから帰ってきたばかり)や他の藏民の意見を聞く。俺自身はこの村の素朴な雰囲気をぶちこわしにするようなこの計画には反対で、この数日考えていたことをこの機会に全部ぶちまけることができてすっきりした。来年八月に道路が開通するということで、それからはたくさんの旅行客がやってきて否応無く村の環境は変わってしまうことは明白なんだけど、だからといって積極的にそれに加担すべきではない、というのが俺の立場。エコーは、変わるのであれば自分が先に立って村人に英語を教えたりして変化の手助けをしたい、というような考えなんだけど、率直に行って俺は彼女がそれをやり遂げることができるとは思えない。雨崩に数日滞在してこの純朴な雰囲気と美しい景色に感動してそういう計画を思いついても、旅行者が増えて雰囲気が変わるに連れて「私が望んでいたのはこんなところじゃない。私はもっと素朴な、旅行者に荒らされていないところを探す」と全てうっちゃって逃げるんじゃないかという気がしてならない。小林も行っていたけど、これが中国人のやり方である。丽江が良い例で、俺が古本屋で買った十年前のガイドブックには丽江は説明すら乗っていない注目されていない場所だったのだが、今は毎日毎日途方も無い数のツアー客がやってきて、新华街などは正直近寄りたくもないようなグロテスクな場所に様変わりしている。雨崩がもしそうなっても(そこまではならないとは思うが)やり抜く覚悟が彼女にあるかといえば、俺は無いと思う。彼女は人との約束を平気で無視する欠点があって、ラムの家で食事をして「明日も来てくれ」と言われてうんうんと頷いていても翌日には「高くてそんなにおいしくなかった(俺は好きな味だけど)から行きたくない」と言うし、この晩ラムの店で翌日西当に帰る人がいたので荷物運びのポーターとして150元で頼むことにしたのに、宿に帰って別の人から120元で行けると言われたら8:30にラムの店に行くという約束を反古にしてそっちを頼むし、荷物が思いから120元じゃなくて160元じゃないとダメだと言われると、いかにも約束通りという感じで、ラムの家の方を頼みに行くし、と万事こんな調子である。彼女自身は会社勤めよりも自分の商売をする方が向いているとは思うけど、あの調子ではなかなか人の信用を得られないのではないかと思う。ちなみに今25歳で、会社に休みをくれ、と申請したら2週間やると言われて「じゃあやめる」と旅行に来たとのこと。自分の商売を始めたら二週間どころか二日の休みも容易ではないのに分かってるのかな?これは言い忘れていたので今度メールで書いておこう。
もう一つ、丽江の例を挙げたが、今の中国の旅行事情は一昔前に一部の日本企業が「渡り鳥企業」と呼ばれて批判を受けたのとよく似ている。一カ所きれいなところが発見されると、旅行者がどっと押し寄せて(何せ根本的に人口が多いし、彼らにとって海外旅行は容易なことではないので)環境をぶちこわし、また別のところを探す、という具合である。一日目に泊まった「徒歩者之家」では電気がつくつかないでもめて(一階は電気がつくのに二回はつかなかった)、態度が悪い、と飄々に移ったのだが(飄々も発電機の故障でつかなかったのだけど)、今にして思えば宿を開いてみたらさばききれないほどの客が来てしまって(あちこちで部屋の増築工事をしていた)、どう対応したら良いのか分からない状態だったのだと思う。また雨崩もまだ道が通ってもいないのに大本営周辺とそこに到る道は既にゴミの山である。特に中国人はゴミをその辺に平気で捨てる悪い習慣があるので余計に始末が悪い。あんなに人の良いきれいなところが荒らされて行くことを考えると心が痛む。
そういう意味で今回の雨崩行きは、崩壊間近の自然や人情を味わうことができて幸せに思う反面、先兵としての破壊活動に加担してしまった(自分自身は特にゴミを捨てたりなんだりしたわけではないが)という後悔もある、複雑な気持ちである。
長くなったが以上が雨崩滞在で思ったことである。ちなみにここに書いたようなことを、酒を飲んでいたことも手伝って、ラムの家でほぼ全部ぶちまけたのだが、エコーは怒った風も無く普通に接してきた(むしろ「やっぱり良い日本人だった」と感心していたみたい)のは長所と言えるだろう。人の意見を聞かないだけかもしれないが。
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