序文

 もろもろの民族の記録と古き世々の書物に伝えられているところでは − さあれ一人アッラーのみ過去を知りたまい、未来を見たもう − 夜々のうちのある夜、アッバースの後裔の正当後継者の御子、バグダードにあって世をしろしめされた教王ハールーン・アル・ラシードは、胸苦しくおなりになって、お床のなかで起き上がられ、夜の御衣を召して、お気に入りの御佩刀持ちマスルールをおそばに召すと、彼は直ちに御手の間に伺候しました。すると教王はこれにおっしゃいました、「おお、マスルール、我が胸の上には、この夜が重くのしかかっている。その方に我が不快を晴らしてもらいたい。」するとマスルールは答えました、「おお、信徒の長よ、さらばお立ちあそばし、露台に行って、我らの眼で、あまたの星が点在する大空の天蓋をながめ、明月がさまようのを見るといたしましょう。下の方からは、ざわめく水の音楽と、かの詩人の詠じた歌う水車の嘆く声とが我らの方に立ちのぼってまいるでしょう。

 呻きつつ、おのおのの目より涙を流す水車は、恋するものにさも似たり。
 その心に魔力充ち満ちてあれど、単調なる愁訴におのが日々を過ごす。

同じ詩人は、おお、信徒の長よ、流るる水を語って、かく詠じました。

 我が好むは若き乙女。われは酒飲む労なくして心楽しむ。
 そは美しき花園。双の眼はその泉にして、声はその流水。

 ハールーンは御佩刀持ちの言葉に聞き入って、さて頭を振っておっしゃいました、「今宵はそのようなものは欲しくない。」するとマスルールは言いました、「おお、信徒の長よ、我が君の宮殿には、いずれも月と羚羊に似た、花のような美衣をまとった、あらゆる色の三百六十人の乙女がおります。いざお立ちあそばし、われわれは見られないようにして、その一人一人をそれぞれの部屋に見廻りにまいりましょう。我が君は乙女らの歌を聞き、乙女らの遊びを見、乙女らの嬉戯を見物あそばすことでしょう。さすれば、おそらくそのうちの一人には、君の御魂は惹かれる思いがなさいましょう。我が君はその乙女を、今宵のお相手となされば、その乙女は我が君との遊びに耽ることになりましょう。そうなれば、なお御不快が跡をとどめるかどうか、判明いたすと存じます!」けれどもハールーンはおっしゃいました、「おお、マスルール、直ちにジャアファルを呼んでまいれ。」彼はお言葉を承り、仰せに従いました。そしてジャアファルの自宅に行って、これに言いました、「信徒の長の御許に参上なされたい。」ジャアファルは答えました、「お言葉承り、仰せに従いまする!」そして即刻即座に立ち上がり、着物を着て、マスルールに従って参殿いたしました。彼は相変わらずお床にいらっしゃる教王の御前に伺候して、御手の間の床に接吻して、申し上げました、「願わくはアッラーは、何事か不祥事のためのお召しではないようになし下されまするように!」ハールーンはおっしゃいました、「いや、よきことばかりじゃ、おお、ジャアファルよ!しかし余は今宵疲労を覚え、疲れて息苦しい。そこでマスルールを遣わして、その方にここに来てもらい、余の気を晴らし、憂さを払うようにと、申し伝えさせた次第じゃ。」するとジャアファルはちょっと考えて、答えました、「おお、信徒の長よ、我らの魂が、空の美にも、庭園にも、微風の快にも、花の光景にも、浮き立とうとしない時には、もはやただ一つの良薬あるのみ。それは書物でございます。それと申しまするは、おお、信徒の長よ、最も美しい庭園と申せば、やはり書庫でございます。書棚の間を行く散策は、およそ散策のうち最も楽しく、最も快いものです!さればお立ちあそばしませ。そして、われわれ一同にて、数々の書庫のうち、いずれかの書棚に、何か書物を探しにまいりましょう。」するとハールーンはお答えになりました、「いかにもさようじゃ、おお、ジャアファルよ、それぞ憂さの最上の良薬じゃ。余はそれに思い到らなかった。」教王は立ち上がって、ジャアファルとマスルールを従えて、書庫のおいてある部屋にいらっしゃいました。

- 『千一夜物語』 第八百九十五夜 「不思議な書物の物語」より -


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