ほんのさいぜんまで、私はアリスが体験したような、一種心の呪縛を誘う、ふしぎな 世界をさ迷っていたのだった。
 アレキサンドリアの町は表通りこそ整然としているが、一歩裏町にはいると、徹底的 に雑然とした、うす汚れた風景がひろがる。
 建物の壁は大半が剥げ落ち、路上は埃に満ち、馬糞の臭いが漂っている。そこに屋台 を広げ、果物、野菜をかしましく商っている。店先の鉄板の上に油を引き、この地方 特有の平たいパンを焼いている箇所もある。
 そうしたやかましい商人達と対照的に、傾いた軒先に椅子を出して徒らに沈黙してい る白髪の老人がいる。長い裾を引く白衣をまとった男が、これもどこか無機物のよう にうずくまっている。あるいは一杯のコーヒーを前にして、無言で将棋のようなもの をやっている連中もいる。
 それは怠惰で、退廃的で、要するに貧困と惰性との縮図のようなものであった。そう した小路小路をたどってゆくうちに、私は自分が、そうした巨大なもちにとらわれ、 無気力でかつ燦然とした世界に引きずりこまれるのを感じた。
 だがいつも覚醒がきた。悲しいといってよいような覚醒が。

- 北杜夫 『まっくらけのけ』より『船長』より -

 

 

日記はここで終わる。
もちろん続きを書くべきだったのだが、帰ってからの1週間は本当に分刻みのスケジュールで行動する日々が続き、続きを書いている時間など無かったし、その後1ヶ月ほどまた「旅」(正確な意味での旅行ではない)に出るはめになってしまった。さらに次の1ヶ月もある意味旅をしている状態だったし・・・(言ってしまえば今も旅の途中のようなものだし、そうなるともう「人生は旅だ」という一般論にまでなってしまう。ただし「人生は旅」というのは最近はある実感をともなって感じる言葉になってきた)。と言うわけで結局書かなかった。あんまり時間が過ぎてしまっては「日記」というよりは「回想録」というべきものだろうし。
しかし、やはりまとめが必要だろう・・・ということでちょっと書いてはみたのだが、非常に訳が分からなくなってしまった。どうも考えれば考えるほど、自分にとってのインドの旅の意味が分からなくなってくるようだ。正直言って自分にとって良かったのかどうかもわからない状態ですらある。単純に面白かったかといえば、それは面白かった。もう一度行きたいかといえば、行きたい。二度でも三度でも。でも行ったことが自分にとって良い経験であり、今後のためになるかというと、わからない。良い経験ではあるだろう。でもそれによって、自分の考え方や方向性が大きくねじ曲げられた(ねじ曲がった?)ということは確かで、それを考えるとむしろ行かなかった方が・・・と思わないでもない。行かなかった方が「まともな」幸せな生活ができたのではないかと。一生懸命考えれば考えるほどわからなくなってくる。

この旅は自分にとってはそんな、いまいち訳の分からない不思議な体験だったように思う。「異常な」といっても良いのかも知れない。そして自分自身が大きく変わった。そんなところだ。「インドに行こう」なんて思っている人は気をつけよう。行ったが最後、もう二度と後戻りはできなくなると思う。それがどういう結果であれ。そんな影響力を持ったところだ。

 

最後に一つ。

「人間の記憶は決して失われることはない。『忘れる』と言うことは記憶の隅に押し込まれて取り出せなくなってしまった状態である」心理学では記憶についてこんな事を言っている。催眠術などを使えばこうした「忘れられた」記憶を呼び起こすことは可能だ、と。(細かいことを言うというと「覚えている」記憶の表面と「忘れた」記憶の奥には境界線があるのだが、催眠状態にすることでその境界線が取り払われ、「忘れられた」記憶がよみがえるものらしい。ちなみに夢を見ているときも境界線が曖昧になっているため、忘れられた記憶(その多くは意識に結びつけられて)がよみがえってくるものなのだそうだ。確かフロイトである)
なにが言いたいかというと、「鍵」さえあれば忘れてしまったはずの記憶をよみがえらすことができる、ということだ。でこの場合「鍵」は言うまでもなく「日記」のことだ。
この日記は客観的に見れば「読み物」に過ぎないのだが、書いた当人にとってはインドの旅の記憶の扉を開いてくれる「鍵」になるのである。「ホテルにチェックイン」という他人から見れば単なる報告に過ぎない文章でも、書いた人間が読むとホテルのレセプションの様子やホテルで働いていた人々、ホテルの周りや、中の情景がパッとよみがえってくるし、視覚的なものだけではないにおい(単に鼻でかぐにおいではない)をからだに感じることだってある。ホテルだけではない他のさまざまな状況も思い出したりする。日記を読むともう一度旅行をできているような感じにさえなる。
日記は旅の記憶をいつまでも残してくれる、すごく貴重なものである。旅行にでるときは日記を書いてみよう。必要なものは大学ノート1、2冊とボールペンが数本である。書いているときはちょっと大変な感じがするかも知れない。でも書こう。どんな内容であれ、「その時」をいつまでも思い出させてくれる貴重なものになるはずだ。

→あとがき