広袤は涯しなくひろがっていた。林や水車小屋の散在する牧場の向こうには、森が幾筋かの緑の縞をなして青ずんでいた。森の向こうには、もう靄のかかり初めた空間をとおして砂地が黄ばんで見えていた。その砂地の先きのはるか地平線上には白堊の山々が波状をなしており、曇り日ですら、さながら久遠の陽光に照り映えているかのように連なっていた。その山々の、ところどころには軽い、ぼんやりした暗藍色の斑点が煙っていた。それは遠方の村落であるが、もはや肉眼ではそれと見わけることもできない。ただ、火花のようにぱっぱっと閃めく教会の金色の円頂閣で、それが住民の多い大きな村だということが分った。万象が森閑たる静寂につつまれていて、かすみに聞こえたかと思うと、大気の中に消えてゆく雲雀の鳴き声すら、この静寂を掻き乱すことはない。
     

- ゴーゴリ 『死せる魂』より -

 

<この間いろいろあって3かぶりの日記である。カジュラーホーからアーグラーに移動し、ホテルにて書いている。アーグラーはあの「タージマハル」のある歴史の町だ>

3/13  10:06am  Hotel Kamalにて

久しぶりの日記である。まずは3/11分から始めることにする。

3月11日。
始まりはたぶん朝の5:30。急に腹痛におそわれてトイレに入り3〜40分。まさに水のような下痢である。6:30の日の出を見ようと思っていたのだがやめて寝る。6:50ごろ起きてまたトイレへ。木村に先に行ってもらったがおれは朝7時の約束には10分ほど遅れた。一緒にチャーイを飲むが2杯飲んで気持ち悪くなった。次のサモーサーは一口だけ食べてあとは木村に食べてもらう。
ふらふらになりながらホテルへ戻り、口にしたものを全部吐いて、下痢をしてチャックアウト。バスぎりぎりの時間だったので、歩いていたガキに近道を聞くが、かわりに100円玉とドイツの2ペニーをRs30と交換するハメになってしまった。本当はするつもりはなかったし、するべきでもなかったと思うが、その近道は普通ではまず気がつかない建物の間を通り抜ける道だったし、まったく時間もないので仕方なかったと思う。
バスは9時20分くらいに出発。マハーバリプラム行きと同じくらいのボロバスでシートは固く、せまい。調子が悪いので途中水をほんの少しずつ口に含む以外は何も食べないと、まるで地獄である。アーグラーヘの12時間(1時間遅れた)本当にキツかった。
アーグラーではバス停のすぐそばのサクラホテルへ。さすがに日本人が多い。部屋はRs600のデラックスしか空いていないというのでやめようとしたが、Rs400まで下がり本当に疲れてもいたのでそこで決定。部屋に入り倒れるようにして寝る。

この日は一日バスの旅であった。本当にキツかった(もし体調が良くてもかなりキツかったと思う)がある意味結構興味深いものであった。バスなので車外の風景はよく見えるし(ジャンスィーで一度バスを乗り換えたが、そこで一番前の席になったので180度の景色である)いろいろな人がいろいろなところで乗ったり降りたりする。荒野を走っていると、そのまん中にお寺(ほこら)があっておまいりしている人がいたり、小さなバザールのある村を通り抜けたり、大きな町に止まったり。何やら本当にインドは広いと言うことを実感できるし、「旅」というものを感じることができると思う。列車では特に夜行だと寝て起きたら目的地に着いていたりしてそういうことは感じられないだろう。キツイなりに良い体験ではあった。

 

3/13  10:48am  Hotel Kamal屋上にて

停電になって(ホテルが電源を落としたのかもしれないが)暗くなったので場所を屋上に移す。真正面にタージマハルが見えて最高の景色である。

3月12日。
時々トイレに行きながら1時くらいまでうつらうつらと眠る。朝食はバナナ1本。昼食も同じ。胃の方の問題は大分良くなっているようだがやはり食事をするほどの勇気はない。2時くらいからテラスのようなところで読書。ハエがうるさくたかってくるのは体が汚いからだろうか。頭を洗ったのとガンガーの沐浴を別にすればホーリーからシャワーをあびていないことになる。たしかに汚い。4時くらいになってフロントに部屋をかえてくれと頼みに行くと(昨日の話では部屋が空いていないので1日デラックスで次の日からはRs200の部屋にかえるということになっていた)チェックアウトタイムは12時だからもう2日目で部屋をかえることはできないという。今日必ず部屋をかえるという話だったので向こうから来るだろうとすら思っていた自分としては完全に「やられた」わけである。Sri Abbiramiや、Jai Gangesなど極めて親切なフロントにあってきたせいで、無条件にそう信じてしまった自分が反省しなければならないだろう。とにかく自分はそういうことは大嫌いなので2日分でもいいから今チェックアウトして別のホテルに移ろうと思ったが木村があまり乗り気でないので、それはやめてタージマハルを見に行くことにした。フロントへの怒りで体が動くようになった感じである。リキシャーでRs25でタージマハルへ。フロントがいうには相場がRs25〜Rs30で(もちろんおれではなく木村が聞いた)言い値がRs30、交渉でRs25と「地球の歩き方」で書いてあるような悪質さはまったく感じられなかった。。<「地球の歩き方」ではアーグラーのリキシャーは「非常に危険。必ずぼられる」というような書き方だった>

現時点までに計3度タージとサクラを行き来したがRs25,30,30でなんのトラブルもない。そういえばシャルマ君は「歩き方」は地図とインフォメーション以外信用しない方が良いといっていたが。ちなみにカジュラーホーのホテルでオーナーの息子にカジュラーホーは高いから買い物するなといわれたが実際彼の店が一番のぼったくりだったのを思い出してしまった。

タージは金曜は無料<平日はRs200くらいとられると思う>だったので観光客の他にただの近くのインド人も多くきているようで芝生を走りまわっていたりして少し騒がしい。タダだからインドの修学旅行もきていたし。タージについては横長に見えるが実は正方形であること、左右2つのモスクの建築の素晴らしさだけでも見物となりうるほどのものであること、その白さと完全な対称形からおもちゃのように見えるが非常に巨大であること、そして完璧であること。書けるのはそれくらいであろうか。やはり実際に見る他はないだろう。そういえばおそろしくチェックが厳重で、食べる物やライタータバコは一切不可というのも印象に残った。

・・・今木村がバナナを買ってきたのだが1本木村が取ったところで全部(9本?)猿にとられてしまった・・・ レンタサイクルを下見してホテルへ戻りホテルのレストランでベジタブルチョウメンRs40を食べて就寝。

・・・今部屋にあるリンゴを使って猿に反撃しようと思う。

 

タージマハル ホテルの屋上から。写真を見ると実際に行ってきたというのが信じられない気分になる。

3/14  5:57pm  デリー行き列車内にて

3月13日分。 朝7時ごろ起床。ホットシャワーをあびて10時前くらいにチェックアウト。Rs400×2。オートリキシャーでタージマハルへ行き、ホテルカマルへチェックイン。バナーラス同様細くてごちゃごちゃしたところである。部屋はベッド2つの実にシンプルなもので、うそかまことかホットシャワー付。屋上からのタージの眺めは最高である<写真>。ジャンケンで木村に両替に行ってもらい俺は屋上で日記を書く。木村は帰りがけにバナナを十本買ってきたのだが1本とった瞬間に残り全部を猿にもっていかれてしまった。リンゴで反撃しようとも思ったが木村が反対し断念<無論投げるつもりだったわけではない>。屋根の上にいた猿にビンのふたを投げたりしたので屋上を去り際に猿にいかくされた。近くのルーフトップレストラン<要するに見晴らしの良い屋上のレストラン。タージマハル周辺にたくさんある>で昼食。景色はそういいわけではないが風が吹きぬけて気持がよい。 がここら辺のレストランはどこも料理が来るのが遅く、1時間近く待たされたような気がする。本は必携である。相変わらず腹調子は悪いのでスパゲティートマトソース。たしかRs30くらいで味は奇妙なものであった。貸自転車屋で一台Rs30で借りてアーグラー城へ。最初フライトのリコンファームのため駅まで行って電話をするが、話が通じず聞いていると番号が変わったとのこと。仕方なくインド政府観光局へ行きマレーシア航空の番号を聞く。

 

<今度は4日ぶりの日記である。もうデリーの空港にいる>

3/17  8:22pm  デリー空港内レストランにて

またもずいぶん久しぶりの日記となった。とりあえず3月13日分を書き上げてしまおう。
・・・インド政府観光局では番号も教えてくれたが近くでリコンファームを代行するという旅行社も紹介された。一人Rs200とバカに高かったが政府の紹介ということで確実だろうと思いそこへいく。が木村がチケットを持っていなかったのでオフィスまで行ったが、一度ホテルへ戻ることに。ついでに途中で聞いた電話番号でリコンファームをしようとするが、まったくつながらず、おまけに借りた自転車の右のペダルが折れてしまった。仕方がないので木村が一人でリキシャーでホテルへ戻りおれは二台の自転車を旅行社の前へと回送することに。今度はおれが道を間違え時間がないのでこわれ自転車をそこにおいて自転車で旅行社へと戻る。木村が来るまでの間旅行社の前で20分くらいインド人3〜4人と話をした。内容はほとんどわい談(一人のインド人の奥さんが日本人で・・・)インド人と仲良くなるこつは映画と下ネタである。木村が来て5時ごろに旅行社へはいるとデリー−>クアラルンプール間の予約が取れていないという事実が判明した。ダマされているのかとも思ったが、対応はまともそうだし・・・とりあえずデリーのオフィスの場所を聞き、どうしても乗るというメッセージを送ってもらう。結局アーグラー城を見ることもできず、ホテルへ戻る。こわれている自転車はおれが乗っていったのだが、ペダル無しはやたらに疲れ、また右足を少しケガした。おまけに先に帰った木村がこわれた代Rs20もとられたらしい。ふんだりけったりである。
夕食は近くのルーフトップレストランで。たしかフライドライスだったと思う。夜なのでまわりは何も見えず、寒く、料理も遅かった。
ホテルへ戻り寝る。

この航空券の予約が取れていずにウェイティングリストに入っていたという問題がいろいろと後を引いて今まで日記を書く気になれなかった。実際この問題はいまだに解決していないし。一体どうなる事やら。 とりあえず14日以降を書いてしまおう。