3/5 8:34am Hotel
Jai Gangesにて
今日は5:00am起床。:25amくらいにホテルを出てオートリキシャーをひろう。ダシャーシュワメートガート<ダシャーシュワメートはガンガーで最大のガート。たくさんの人とボートがいる>までRs20。ダシャーシュワメートロードまで来たら運転席に男が飛び乗ってきて横道に入っていくのであわてて止めさせる。途中から乗ってきた男はボートマンで違うガートからボートに乗せたかったらしい。まったく油断もすきもあったものではない。その後次々とやってくるボートの客引を無視してガートに座り日の出を観賞。一時間くらいたち6:30ごろに日が出る。河に赤い光が指すようすはすばらしかった。その後ちょっと南へつまりマニカルニカーガートの方へ歩くとすぐにほとんどボートはいなくなり、外国人も少なくなり、もく浴をしている人が10人くらいいた。やはりこういううるさい客引きや外国人のいないところは落ち着いていて良い。
リキシャーでホテルに戻る。今日は起きたときから非常に体調が悪かったので一日休養日とすることにしてカゼ薬を飲んで寝る。
昼ごろ(一時くらいか)一度起きる。面倒なのでバランスアップとオレンジで昼食。荷物を減らしたいということもある。薬を飲んで寝る。
5時半起きる。かなり調子が良くなったので洗濯。終わって干していると庭をかざりつけている。コンサートらしい。そこでコンサートの始まる前に夕食を食べて戻ってくることにする。近場で、と探し歩くが軽食屋のような物しかなく、結局ゴードウリヤーの方まで歩くことになった。ベジタリアンキーマRs20、ライスRs10、ペプシRs10。カレーはなかなかうまくまたライスもかなり量があったので満腹した。やはり日本人だからか、食事はナンやパラタ、チャパティ<みんなパンみたいなものだ。チャパティはぱりぱりしていてポテトチップかセンベイみたいな感じである>よりもライスが良いと思う。
帰りがけに水2lRs17×2とオレンジとリンゴを購入。かえってリンゴとオレンジを半分ずつ食べ薬を飲む。この日記を書いているうちにコンサートが始まったようだ。多分これがシタールなどのインドの古典音楽なのだろう。しかしこれよりはカルカッタのホーリーでやっていたタイコを中心にした陽気な(踊れる)音楽の方が聞いていてはるかに楽しいと思う。もう寝ようかと思う。
3/6 9:02pm Hotel
Jai Gangesにて
今日は昨日早く寝ただけあって7時くらいに目が覚める。9:30くらいにホテルを出て駅へ向かう。
それまではここバナーラスから一度デリーへはいる予定であったが、デリーはつまらないということでデリーに入るのをおくらせて、マドラスのパウロさんおすすめのカジュラーホーへ行くことに決める。まず駅のツーリストバンガローでカジュラーホーへ行く方法を訪ねると即答えが返ってきて良かったのだがその後シルクの店の紹介を始めたのには参った。
・・・外でドーンと大きな音がしたので見に行ってきた。今日もコンサートをやると思っていた庭の人々が楽隊を先頭にホテルの前を行進していた。むき出しのけい光灯をつけた棒などの光るもの(説明しづらい)を持っている。さっきリキシャーに乗っているときに出会った集団と同じである。今日は何かの祭りであろうか。
・・・カジュラーホーへの道を聞いたあと外国人用窓口へ行くが、どういうわけか業務をしていなかった。狭い部屋をぐるりとまわるように客がならんで待っているのにまったく始めるようすがない。しばらく待ってだめそうなのでインド人用の方へならぼうかとも考えたが、すごい混みようだし、英語が通じるとも限らないのであきらめ、サールナート<手塚治虫の「ブッダ」を読もう>へ行くことにした。駅の前でサールナート行きのバスをつかまえ(と簡単に書くが、20分近く駅前の通りを探し回った)Rs5で3〜40分で到着。ダシャーシュワメードに比べると非常に静かで外国人も少なく、とても落ち着いた良い所である。昼食にプーリーを一人2つ(×Rs1)食べ、チャイRs1.5を飲む。プーリーのカレーがとてもうまかった。その後サールナートのストゥーパや寺院を見る。サールナートの煉瓦の遺跡は2000年前の物なのだろうか。遺跡は何も語らず、ただそこに在るのみ、という感じである。
おそろしく混んでいるバスで駅へ戻り再び窓口へ。<チケットを買うのに>なんと3時間以上もかかった。1人の日本人の女は(一人旅なのだろうか、まさかとは思うが)切符を買うのに30分以上もかかっていた。窓口が一つなので非常に迷惑である。
基本的に日本人がより多くかかっているようでとにかくひどく待たされた。まず何が問題かというと計画性がなさすぎる。自分たちの前に並んでいた日本人男2人は今日の夜(5〜6時間後の)列車に乗ろうとして席がないといわれて途方に暮れていたし<バカだ>、大概の人は(特に日本人)窓口に着いてから列車を探している様子だった<迷惑だ>。何しろ提示した列車(2日後の夜の便であるが)が空いていたおれたちは発行に5分くらいしかかからなかったわけだから。
たしかにあそこは外国人用の相談窓口もかねてはいるようだが、あまりにも計画性がなさすぎる気がする。インドに来ている人、というとかなり「旅」にこだわりを持っている人ばかりかと思ったがそうでも無いようだ。
前の二人組は待っている間にどこか別の所であった人と再会して「インドは狭い」などと言っていたし。(狭いのは「インド」ではなく「我々の行動範囲」である)その後駅前の食堂で食事。英語のメニューが無いのであせったが「ターリー」があったので良かった。味はそれほどでもなく、量はまずまず。Rs15の値段相応といえるだろう。その後明日の沐浴の下見にパンチガンガーガートへ。ダシャーシュワメートガートはあまりにも混んでいてひどいので。リキシャーに言ってもわからないらしく道を指示しながら近くまで行く。その後路地を通るのだがこれがヴィシュワナートロード同様で30分くらい歩き回っていたら、どこをどう間違ったのか広い道路へ出てしまった。仕方なくホテルへ戻ろうとするが、どうもそこはダシャーシュワメートロード近くだったらしい。どこをどう間違ってもそんな方へは行くはずがないような気がするのだが・・・。バナーラスの裏道は聖地らしく異次元にでもつながっているのかもしれない。
ホテルへ戻りフロントでパンチガンガーへの行き方と、静かなガートはどこかを聞く。二人フロントに立っていたのだがやたら一生けんめいに議論しながらいろいろと教えてくれた。
今こう書いていても外でときどきドーンと大きな音がする。パンチガンガーから帰ろうとするときリキシャーでも同じような行列にあった(木村が子供達から握手ぜめにあっていたが、引っぱられて落ちそうになっていたらしい)が、なにやらの祭りのようなものだろうか。明日は早くまた調子もまだ悪いのでもう寝る。
3/7 10:48am Hotel
Jai Gangesにて
今日は5:00am起床。昨日フロントでガートの話をしている時今日の起床時間を聞かれたのでモーニングコールでもしてくれるのかと思ったら(部屋にはむろん電話などない)本当に5時になって部屋へノックしに来た。なかなか親切なものである。5:10分くらいにホテルを出てサイクルリキシャーRs10でダシャーシュワメートガートへ。相変わらずひっきりなしにやってくるボートマンを振り切りつつどんどんと川の下流の方へ(つまり東へ)進む。3〜40分も歩いたところで大分空も明るくなってきたし、それより先はまたボートがたくさん止まっているガートになるということで静かな河岸で休止。海水パンツになって入ると水はやはり冷たいが入ってしまうと体があったまってくる。川底の泥へ足をめり込ませながら進み、頭までもぐる。目の前にはまっ赤な朝日が昇りつつある。最高の気分である。これはたしかに素晴らしい経験である。明日も必ず来なければならない。
あがってそこから道に戻ろうと少し下流の方へ行くとそこはGAI
ghatであった。今日はパンチガンガーガートを目指して進み見つからなくて適当なところで沐浴をしたわけだがちょうどそこら辺か、ちょっと上流のあたりがパンチガンガーであったことになる。どちらにせよ、ダシャーシュワメートとマニカルニカー以外は外国人はほとんどというより全くおらず、そこはボートマンもいなくて実に静かで良かった。
GAI ghatから本道へ戻り歩きつつリキシャーをつかまえRs10でステーションロードまで行き<ホテルの前の道だ>、ホテルへ戻る。ホテルへ戻ったらグレープ一ふさとオレンジを朝食に食べカゼ薬を飲む。これでカゼ薬はなくなってしまった。それから一眠りして10:30くらいに起きたところである。
朝は大分セキが出て調子も良くなかったが沐浴して一眠りしたらほとんどなおった。ガンガーの水の効果であろうか。
いずれにせよ沐浴によってすべての罪は洗い流されたわけである。4月からの新しい生活を始めるために実によい転換点となっただろう。インド人ならこんな言い方はしないだろうが・・・ガネーシャのご加護がありますように。
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