2/26 7:46am カルカッタ行列車にて
昨日途中まで書いていて突然懐中電灯が切れてしまい、中断してしまった。せいぜい30分程度の連続点灯である。やはり100円ショップはダメらしい。電灯、時計、電卓と壊れてしまった。
・・・アルジュナの苦行の上で10分程度寝た。日なたでけっこう暑かったが、かなり気持ちよかった。その後丘から下り町で食事をしようとするが、良さそうな店がないのでやめてスイカとセンベイのようなものを買う。スイカは日本のものとほぼ同じ味で確かRs30。センベイは何種類か入っていて(一口サイズのかけらくらいのを計り売りしている)マサーラーをかけて食べる。けっこう辛い。Rs5。そこから海岸へ行き岩場で1時間ほど海をながめる。荒い波が岩にぶつかるのを見ていた。
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いつまで見ていても飽きない。
水平線の彼方には何が・・・
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その後灯台の方へ行きいくつかの遺跡を見て、南へ歩きパンチャ・ラタへ。30分程見てバス停へ戻る。運良くすぐにマドラス行のバスに乗れる。
マハーバリプラムは観光地らしく観光客が多かった。日本人にも一組会ったが多くは欧米人。ガイドに連れられて見てまわったりおみやげ屋に入ったり。ある女性はビデオをとってまわっていたのだが、石像をほっている店をのぞき込んでとったり、スイカ売りの人をとったり、けっこう無遠慮なふるまいが多かった。
一度ホテルへ戻り映画館「アビラーミ」へ「トゥルラーガ マナモン トゥロン」を見に行こうとすると途中でまた映画好き従業員とはちあわせ。また映画の話になり、ラジニカーントの映画のタイトルなどを教えてもらう。来年1月公開の「パタヤパ」という映画は「必ず」見ないといけないと言われた。ついでに名前を教えあう。背の高い方が「カルティク」大学生で、低い方が「ナラヤナン」子供が「クマール」で真面目な人が「サッティ」。カタカナで名前を書いてあげたら喜んでいた。そしてカルティクとナラヤナンと写真をとる。その後映画館へ行きカレントのチケットを買い、夕食。マトンマサーラーミールス。値段は忘れた。まずまずの味。「トゥルラーガ・・・」は見ていて途中で寝てしまった。別につまらなかったわけではなく疲れていたので。木村は最初の方で、おれは後の方で寝た。後から話を想像してみるとなかなか面白い映画だったかもしれない。ダンスにはキレがあったし、歌はかなりうまかった。もう一度見てみてもいいかもしれない。<帰ってきてから見た三谷幸喜の奥さん(名前何だっけ?)のインド映画体験ツアーみたいなテレビで、この映画が紹介されてた。映画館も同じ。英語のタイトルが「LoveDays」とか紹介されてい手、途中で歌を聴いて、「これ演歌だ、演歌だ」と騒いでいた。たしかにそういう感じの曲もあったような・・・。哀しいときの歌だったと思うけど。どうでも良いんだけど、インドの実体が余りよく反映されていないような感じがしたなあ。インド庶民の昼食とか言ってレストランに行くんだけど、見たこともないようなきれいなレストランだったし。まあそんなことどうでも良いんだけど>ホテルへ戻り就寝。
2/26 8:30am カルカッタ行き列車内にて
外の景色は実に単調で10分も見ているとあきてしまう。中国と同じような風景である。さっき昼食のミールすの券を売りにきた。ベジタリアンRs23。<今まで何気なく出てきたが「ミール」というのはまあ「定食」程度の意味だと思っていい。「ミール」というのは南インドで使われる言葉で、北インドでは「ターリ」だ。内容はライスとナンに数種類のカレーがついてくるもの。ライスやカレーはおかわり自由らしい。ミールは基本的にはバナナの葉っぱをひいてその上にライスやカレーをのせてくれるものと言うことだが、「ミール」を頼んでもバナナの葉っぱでないことは多い。ちなみにそこらのレストランに入ってメニューがタミル語(南インドの公用語)やヒンズー語(北インドの公用語)しか書いていないときは「ミール」か「ターリ」といえば何とかなる。まあ大概のレストランには英語のメニューがあるが>
2/25は9時くらいに起床。フロントで映画を見に行くのでチェックアウトを延ばしてほしいとたのむと快くOK。とても気分の良いホテルだと思う。まずAnnai
Abirramiで「Pooveri」のカレントを購入<カレントとはいわば「当日券」。インドの映画館は一日4回公演が普通で(12:00、15:00、18:00、21:00といった感じ)一週間くらい先の分まで予約できる。>。その後外で「Kuch
Kuch」のポスターをみると従業員おすすめの映画館「アーナンダー」では「noon show」だけなのが判明。もう一つ「アニュエガ」という映画館があったのでリキシャーにのると、「イーガ」に連れていかれてしまった。アニュエガがイーガだったのか、「Kuch
Kuch」のポスターを指したのでやっている映画館へ連れていかれたのかは不明。とにかく6:30の回を予約。時間があったのでAnnai Abirramiへ歩いていくと15分くらいで到着。「アニュエガ」の場所は知らなかったとは言え、Rs35もリキシャーにとられたのは失敗だった。「Pooveri」を観賞、映画館はおそろしく寒かった<南インドの映画館はとにかく寒い。上着を準備しないと風邪をひくおそれあり。休憩(インドの映画はだいたい3時間なので途中に休憩がある)の時はロビーで熱いチャイを飲んで体を温めたものだ>。内容は主人公がフタマタをかける話らしく、おどりもたいして良くなかった。No
Goodであると思う。
その後ホテルへ戻りチェックアウト。フロントはいつもの人ではなかったが、「来年も来てくれ」というようなことを言われた。握手をしてさよなら。ナラヤナンとカルティクにお別れできなかったのが残念である。
2/26 12:48pm カルカッタ行車内にて
食事終了。よく寝た。
ホテルを出て「イーガ」へと直行。門のところで「アナタはニホンジンデスカ」と声をかけられる。町を歩いているとよく言われる「Hello my friend」と同じ様なアイサツだと思って「You
speak Japanese very well」とか言って中へはいると中までついてきて映画の話等をしだした。ラジニカーントの映画の話、インドの話、物価の話、日本の話(92年に日本に行って今年の6月また行くそうだ)ビジネスの話などなどである。その人はガラナイト(GRnite)とGARMENTS?という建築用の石(日本でもよく見る黒い石<よく企業の受付とかにありそうな黒い大理石のような質感の石だ>)を採掘する会社(SUN
MINERALS)と輸出する会社(KANDPPA EXPORTS)持っていて三菱や日商岩井と取引があるそうだ。たのめば100%マトンのインドの安い製品やガラナイト、中古のショベルカーを送ってくれるという。「いいものを着ていれば信頼されてビジネスが成功するから、いいものをインドで安く買いなさい」といわれた。ついでに気に入ったビデオやCDがあれば日本へ送ってくれるという。インドのビデオが日本でみることができるかどうかはわからないが、日本へ言った事がある人だし、おれは「Kuch
Kuch」のびデオ、木村は「ムトゥ」のCD(ビデオかも)を頼んだ。かわりに英語で日本語を学ぶテープを送ってくれという。写真もとったのでそれも送って欲しいと言われた。<結局どういうわけか送らなかった。惜しいことをした>Teaをおごってもらったり列車の中での食料の調達につきあってくれたり、いろいろと親切にしてもらった。イーガではなくアーナンダやアニュエガ?という別の映画館に行っていたら出会うことはなかったわけだから出会いというのは不思議なものである。
今度おれや友達がインドを訪ねることがあったらOfficeを訪ねてくれと言っていた。結局映画が始まるまで3時間半もつきあってくれた。
2度目の「Kuch Kuch」もたいへん良かった。すばらしい。もし送ってもらえなかったら困るので買って帰るかもしれない。その後セントラルステーションへ。列車を探してうろうろしていると列車の駅や(違う構内にいた)車両を教えてくれる人がいて助かった。インドには親切な人も多い。
10時半に列車が動き出すと「地球の歩き方」でカルカッタのホテルや昼のポールさんが良いといっていた「カジュラーホー」を調べる。しばらくすると次々と電灯が消えてしまったのでかい中電灯をつけて日記を書いていると30分ほどでダメになってしまったのでやめて就寝。カギをなくした。
<カバン用に持ってきた南京錠の鍵だと思う。なくしたのは3つあるうちの一つだ>
2/26 4:37pm カルカッタ行列車にて
また寝て起きてチャーイを飲んだ所である。Rs3。チャーイは味はともかくティーバックを使っているので見た目ほど量がないのが残念。熱いミルクにティーバックを入れただけの簡単なものだが確かにチャーイの味がする。日本でもできそう。ただしミルクはけっこう濃厚なものが必要かも<ミルクをわかして砂糖を入れて(たくさん)、ティーバッグを放り込んで終わり>。
列車はさっきから汽笛を何度も鳴らしながら走っている。線路わきには柵もなにもないので人や動物を追いはらうためのものだろうが、ちょっと騒がしい。
朝から起こったことといえば昼飯を食べそこねかけたことくらいだろうか。食券を買って寝ていたら起こされて食事を配る係であろうインド人がしきりに「フォーフォー」と言っている。チケットをわたせば良かったのだろうが自分が持っているということをすっかり忘れていたので、わけもわからずうなずいたら行ってしまった。下におりて木村に言われてはじめて自分が券を持っていることに気付いたのだがわたそうとしたら「Late」と冷たく言われてしまい、座っているとしばらくして向かいの窓側の人が「最後の食事があるよ」と教えてくれたので、ようやく飯にありつくことができた。食事自体は味も素っ気もないようなベジタリアンのターリ(別にベジタリアンだからというわけではない)であったが。
さっき窓の外を見てもつまらないと書いたような気がするが、そうでもないみたい。遠くにいろいろな形の山(ほとんどはげ山)があったり、土のかまくらみたいのがあったり(家かな?)、牛や馬がいたり人がなんとなく立っていたり歩いていたり働いていたり。土のかまくらと書いたのはもしかしたらわらの山かもしれない。一つ気になっているのは時々見る黒い石ころのようなものを積み上げて作られた四角い台のようなものである。ない所にはまるで無いがある所にはいくつも連続してあり、大きさや縦横比は様々であるが必ずてっぺんの真ん中に一本の真ッすぐなみぞがつけてあって、四角をちょうど半分にしたようになっている。
外国へ行くといつも思うことではあるが・・・
「困っている(外国)人には親切にしてあげよう」
2/26 6:25pm カルカッタ行車内にて
どこぞの駅に到着。別に書くことはないがひまなので。外はもう日は沈みきって電灯の明かり一つがたよりである。ところで夕食のチケット売りが来ないのだが夕食はどうなるのだろうか?まさか込みではないだろうし。寝ている間に行ってしまったのだろうか?バナナとマンゴーの夕食になるかもしれない。
2/26 4:37pm カルカッタ行列車にて
もうみんな寝る用意をしだした。実にひまだ。 やはり夕食はなかった。昼はごうかに夜は質素にというイギリス式なのだろうか?バナナはダメだったので捨ててしまい(何でもかんでも窓から捨てるのが普通らしい。便利は便利である。マンゴーは一切れ食べて化学薬品のようなにおいがいやになってやめた。夕食は抜きだ。朝食に期待する。
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