「そしてある日、あなたの中で何かが死んでしまうの」
 「死ぬって、どんなものが?」
 彼女は首を振った。
 わからないわ。何かよ。 東の地平線から上がって、中空を通り過ぎて、西の地平線に沈んでいく太陽を毎日毎日繰り返して見ているうちに、あなたの中で何かがぷつんと切れて死んでしまうの。そしてあなたは地面に鋤を放り出し、そのまま何も考えずにずっと西に向けて歩いていくの。  太陽の西に向けて。そして憑かれたように何日も何日も飲まず食わずで歩き続けて、そのまま地面に倒れて死んでしまうの。
 それがヒス テリア・シベリアナ」
  僕は大地につっぷして死んでいくシベリアの農夫の姿を思い浮かべた。
 「太陽の西には一体何があるの?」

- 村上春樹『国境の南、太陽の西』より -

書籍紹介

 



<マドラス空港に到着。空港から市内行きのバスの発車待ちのバス車中にて書く>

2/20  12:47  以降インド時間  エグモア駅へ向かうバス車中にて

10:40くらいに着陸。前の方の席だったのですぐ出られて、入国もほとんどならばずに通ることができた。が、預けた荷物が出てこない。ずいぶん待たされてようやくターンテーブルが動き出したと思ったら荷物は全く出てこずしばらくして止まってしまった。

<バスの揺れはすさまじく日記を書くどころの騒ぎではなかった。ホテルを見つけて翌日の朝続きを書く>

2/20  AM10:34  ホテルにて

まずは昨日の分を書いてしまおう。ターンテーブルから荷物が出ないうちに止まってしまったので、両替をしに行ったのだが、こちらも前の人がやたらに時間がかかっており、かなり待っているうちにまたターンテーブルが動き出した。今度はしばらくすると段ボールなどが出てきて(ソニーやアイワのオーディオ関連の箱が多かった。中身はわからないが)ようやく荷物が出てきだした。とはいうものの我々の荷物はいくら待っても出てこない。成田からの引きつぎなので最初の方につんだのだろうと思い待っていたが、30分待っても出てこないので仕方なく木村が両替に行った。しばらくして荷物が出てきたのでカートにのせて両替の所へ。両替をすまし<結局おれは両替はせず木村だけ>税関を抜けるとすぐに出口なのだが、さくがあってその向こうにぎょっとするほどの顔があった。みなオートリキシャーだろうか。そばに空港のバスの人がいてRs80だというのでチケットを買う。二人でRs160だが我々はRs100札しかないので2枚渡すとRs10札はないかという。それでつりRs50札一枚と言うことらしいが無いので無いというとつりは今ないと言いだす。結局押し通されて(かなり疲れていたし夜中の1時近いし<日本時間で言うと朝の4:30になる>たかが140円という気もあった)バスに乗り込む。バスは20分ほど客待ちをして1:05に出発。中国以上にひどい道をかなりのエンジン音と(その割にはスピードは出ていないが)クラクションの中30分ほど走りエグモア駅に到着。運転手が教えてくれたので起りる。ホテルやリキシャーの客引きを振り払いつつ40〜50分探し歩いて(途中見落として行きすぎてしまった)目星をつけておいたホテルへ着くが閉まっていて入れない。次のホテルへ行く途中また客引きがきたのでそれと交渉してWでRs150というホテルへと行った。部屋を見せてもらい水と鍵を確認、値段を聞くと今度はRs190という。値引かせようとしたが出きそうにもないので、それをのみホテルを決めた。宿帳を書き金を払い(今度はRs200と言われた。税を入れたのだろうか?面倒なので何も言わず払うことにした)おれの方はすぐに寝ることにした(木村はシャワーを浴びてから寝た)。蚊はいるしふとんもないので長そでのシャツ、ジーパン、くつしたのまま(ベルトをとっただけ)バスタオルをかけて就寝。
<たぶん寝た時間が2:30ということだろうと思う。日本時間で言えば朝6時だ。飛行機の中でずいぶん寝てはいたが木村の家を出て実に23時間半の移動である>
2:30 今日は11時くらいまで寝るつもりだったが、8時には起きてしまった。(最初に目が覚めたのは4:30くらいであと2、3回は目が覚めたと思う。しっかりと睡眠がとれたとは思えないが、旅の興ふんのせいかもう寝られそうにもなくなったので、水を調達するために出かけることにした。
・・・現在11時。出かける予定だったが木村が寝たいというので日記を続ける。
朝のインドは昨日の夜とはまるで違っていた。ホテルを出るとすぐ左には廃キョのような建物はあるし(実は建築中、夜は暗くて全く気がつかなかった)道路のリキシャー、バイク、車などがクラクションを鳴らしまくりながら走っている。ホテルのまわりを歩き回りながら水1Lを3本購入。1本Rs18なのでRs69、おつりをRs31・・・。そんなわけはないのだがなぜかその時は気がつかなかった。何故だろうか?しかもボトルにはRs15と書いてあるし。たいした額ではないが、かなり腹立たしい。次にパンを購入。全部で4種類でどれもそこそこの味であった。全部でRs16。今度は間違いはない。ホテルに戻り今後の日程と今日の予定を相談。今から本屋へ行って地図等をかってくる。

出費
バス Rs100×2(本当はRs80)
水  Rs23×3(本当はRs18(15?)×3)
パン Rs16

 


マドラスのホテル インド最初の朝。ささやかな朝食。

 

2/21  AM9:34  NESTホテルにて

昨日は一日でインドの社会のすべてを見つくしたような気がした。とにかく外においては一分の休まる時間はなくホテルに戻ってぐったりとしていたらいつの間にか寝てしまっていた。
すぐ出発なので昨日のその後のことをられつしておこう。
まずリキシャーで書店へ。A/Cがきいていてすずしかった。A/Cがこんなに快適なものであるということをはじめて知った。<A/Cとは「エアクール」の略らしい。必ずしも「エアコン」ではないがそんなようなものだ>
近くのレストランで食事。ミニミールズRs22+コーラRs12なかなかおいしかったがご飯のヨーグルト煮には驚いた。<野外レストランだった>
リキシャーでセントラル駅へ。自分はまだRsを持っていないので両替しようとトーマスクックを探してさんざん歩き回ったが、見つからず他の銀行も土曜なので閉まっていた。
もう出発だ。

 

<この間ホテルを移動する>

2/21  PM9:22  Sri Abbiramiホテルにて

昨日の書店であるがコンピューター関連の書籍が実に豊富なのには驚いた。2階建ての店におそらく三省堂本店並の関連書があった。やはり大したものである。
昨日の続きであるが、トーマスクックをあきらめて、近くにあったState Bank of Indiaへ入ったが土曜日ということで閉まっており海岸へ行くことにした。サントメChurchを指定すると遠いせいか2台のリキシャーに拒否され3台目でようやく行くことができた。海岸沿いをリキシャーで走るのはなかなか気持ちよいものである。
サントメ聖堂は海岸から結構離れたところにあって、大部行きすぎてしまったので<海岸から行きすぎたのであって、聖堂から行きすぎたわけではない>聖堂は見ずに海岸へと戻る。
海岸はかなり広い砂浜であったが、南はじの方は貧民の生活の場であったようだ。道のまん中で洗濯をしていたり<道の水たまりで選択をしているような感じだ>子供達がクリケットをしていたりする。木村がその時水のペットボトルを<手に>持っていたのだが、子供達が「水をくれ」とやってきた。無視していると2、3発小さな石をぶつけられた。
さらに進んで子供達もいなくなり結構静かで落ち着いたベンチがあったので一休みしていると、また2人の子供がやってきてRs2くれと言う。10円玉をやったりして適当にあしらってから<よく考えてみるとRs2=7円。10円の方が高価だ>リキシャーでカパーレシュワラ寺院へ。きれいな色の様々な像をほってある塔がある。サンダルを抜いで中へはいる。ガイド代やら何やらでRs80もとられてしまったが<要するにぼられた>、ガイド自体は英語も分かりやすく面白かった。
その後いったんリキシャーでホテルへ戻る。
7時前くらいにホテルを出て30分ほど歩き夕食のレストランへ<高級そうなホテルの最上階のレストランだった>。南インドターリRs60。安い割にホテルの屋上の展望もありおそろしく高級感がある所であった。料理はものによってかなり当たりはずれがあるものであったが<インドの食事は皆そうだが、いろいろな種類のカレーがセットになったメニューになっている>、全体としては満足いくものであった。木村は大分のこしていた。その後マウントロードへ行き映画館を探すが、夜だったせいもあり見つけられず。今日にしてみればあれは全く反対の方向へ進んでいたようだ。その後リキシャーでホテルへ戻る。リキシャーの人は途中の建物の名前を教えてくれたりいろいろしゃべりかけて来ていい人であった。ホテルに戻りベットに寝ころんだらそのまま寝てしまった。ちなみに木村の話では夜停電があったそうだ。

2/20の 出費
水1L 23×3 Rs69
パン Rs16
コーラ Rs8
水   Rs20×2 Rs40
水 Rs15
地図 4冊 175
昼食 34×2 68 ミニミール22 コーラ12
夕食 190 ターリ60+水×2+Tax
リキシャー6回 240 
寺 80  計Rs901

2/21  PM10:34  Sri Abbirami Hotelにて

2/21は8:30ごろ起床。まずリキシャーでセントラルステーションへ。ブッキングオフィスをしばらく探しEnquiaryで外国人窓口をききチケットを手配。2/24のカルカッタ行きを希望したのだが、2/25の夜がとれたのみだった。2等の寝台でRs714。カウンターの人はなかなか気さくで話しやすかった。中国のおばさんとは大ちがいである<中国のおばさんは(一般的に)怖い。チケットの予約をするにもしかられているような感じがする>
その後マハーバリプラム<マドラス南部の観光地である>行きのバスを探しに行く。バザールは日曜日だからかほとんと休みであった。途中牛を一ぱい放し飼いにしている道があった。バス停の混みようはすさまじく目的のバスを探すのは一苦労であった。またどれもぼろくて一杯インド人が乗っている。その後バザールをもう一度歩き駅近くの映画のポスターのたくさんはってあるところでどの映画を見るか検討。リキシャーの人にその映画館へというとそれはだめな映画で、別の映画の方が良いという(至る所にポスターがはってあり人気がありそうだと思っていた映画である)。それでその映画館へ(エグモア<ホテルの近くの駅の名前。ホテルに帰るときは、いつもエグモア駅までリキシャーで行きホテルまで歩いていた>の近くだった)いくとあいにく前売りは9〜11の2時間しかやっていなかった(インターネットで予約の受付をしているらしい)ので、駅前で食事。ミールスRs22。店の二階の妙に高そうな部屋へ連れていかれそうになったが断って、一階の普通の所で食べる。この時はじめて手を使って食べた。いまいち食べ方が良くわからなかったが、インドの食事という実感がわいてきて良かった。その後次のホテル探し。最初のなんとかロッじは一杯だったが、次のSri Abbirami HotelはOK。最初の日に来ようとしたホテルである。部屋もそこそこきれいで、落ち着けそうであり、前のホテルよりRs100高いだけのことはある。レセプションの人もいい人であった。その後絵ハガキを買いに本屋へ行くが、あいにく休みなので、マウントロードを昨日とは反対に歩き、映画館を探す。と、3けんの映画館を発見。うち一件で明日の昼の映画のチケットを買う。映画自体は適当に選んだものでタイトルも不明。ちなみに同じ映画館でタイタニックがかかっていたが行列ができていて大盛況のようだった。
その後NESTホテルへ戻り荷物を新しいホテルへ移動。しばらくして明日の朝食の買い出し。バナナとパンと水を購入。ホテルに置きに戻るついでにレセプションの人に映画館の場所を聞く。イーガという映画館の「クチュクチュハタニ」というのとウッドランドというところの「カチャドンニャ」というのが良いらしい。
その後近くのレストランで食事。Rs20のミールスだったが(木村はチキンなんとか<チキンビリヤーニ。チャーハンみたいの>)店の人が親切に食べ方などを教えてくれた。食べても食べてもライスやらカレーやらを追加してきて大変だった。その人は「Indian Culture」と言っていたが、いくら食べて「No Thank you」と言っても「More little Rice?」とか言って追加しようとするのには全く閉口した。木村もミールスのライスやらカレーやらをどんどんと出されていた。また何か飲み物というとその店には飲み物はなかったのかわざわざ別の店から買って来て出してくれた。すごく親切で良い店であった。その後部屋に戻って日記を書いている。

この二日で感じたののはまずインドの貧富の差の大きさである。エグモア近くの川べりにはアフリカの森の中かと思うようなわらぶきの家がならんでいるし<無論アフリカへ行ったことはないが>、へいに日よけのような布を屋根としてつけてくらしている人もいるし、砂浜に住んでいる人もいる。夜ぼろ布にくるまり死体のように軒先で寝ている人々もいる<インドに着いた日ホテルを探して夜中にさまよっていると、歩道の粗大ゴミをけ飛ばしそうになったのだが、よく見ると寝ている人だった。その時は本当に死体じゃないかと思った。あれは野宿とすら言えない>。対して洋服一着(普通のシャツ)Rs1000以上もするようなブランド品の店から両手に荷物をかかえて出てくる家族づれや、日本の車のようなピカピカの車を乗りまわしている人もいる。川沿いの貧民街をリキシャーで走っていたらバケツを持った小さな女の子がバイクに引っかけられて水をこぼして倒れたようなシーンも見た。バラモンだのスードラだのといったような単純に目に見えるほどのものではないが、たしかにこの国には「階級」というものが厳然と存在しているようである。


 まるで「世界の車窓から」。日本にはない活気に満ちあふれている。