日本〜ウラジオストック

その一 2/2


2/2 12:40伏木港近くのラーメン屋にて

 もう疲れた。昨日荷物をまとめた時は意外に軽いな、と思ったのだが、実際に担いで歩き回るとやっぱり疲れる。肩が痛い。
 今日は五時半起き、六時出発。蒲田から東京、東京から上越新幹線で越後湯沢、ほくほく線(?)で高岡へ。高岡では乗り換えが一時間くらいあったので、その間町を散歩し、氷見線で伏木に到着。11:41。
 高岡。ロシアの雪、寒さ対策ばかり考えていたんだけど、日本国内で行きに出くわす事は考えてなかったなあ。大した問題は無かったけど。ちょっと歩いただけだけど、千本格子の通りはなかなか風情がある。
 伏木。予想通り何も無い。ぐるっと三十分近く歩いてようやくスーパーを発見。カップラーメンをたくさん買い込む。ちょっと高い。小雪の舞う中更に歩くけど、食事をするところが全然無くてちょっとあせる。昔某会社の前に吉野家が出来たとき、会社の人が驚喜していたのを思い出した。で、もう港に着く、というところでようやくラーメン屋を発見、ラーメンを食べる。400円。
 おばちゃんが「これからどっか行くの?」と聞くのでウラジオストックだと答えたら驚いていた。そういう客は少ないのかな?


2/3 8:29(ウラジオストック時間)ルーシー号船内にて

 今日は八時二十分起床。朝食が8:00〜8:30なので「しまった、飯を食い損ねる!」とあわてて食堂へ行ったらまだ開いていなかった(もう閉まっていた?)。もう日本じゃなくてロシアなんだな。
 昨日の続き。ラーメン食べてルーシー号へ。雪が強く降り出してきた。意外と遠くて途中一度道を聞くはめになったけど、まずは時間通りに到着。港湾事務所で出国手続きをするのかと思ったら、船の中でやるらしい。船入口の警備員のおっちゃんに「物騒な国だから気をつけてね」と言われる。家族や友人にそういわれるのは何とも思わないけど、俺から見れば関係者のような人にこう言われるとなんか怖い。
 船の入口には日本語の出来るロシア人のおっちゃんがいて、乗船手続き。話をしていて「日本人は?」と聞いてみたら「一人」という返事が。日本人客俺一人?と焦ったけど、まあ他にもいない事は無さそうな感じ。ただし見かけるのは全てロシア人で、船内アナウンスもロシア語(一度英語のアナウンスもあったが、最初のレディースアンドジェントルメン以外はロシア語じゃないかと思うほど訛りがきつくて全くわからなかった)、船内の貼紙も全てロシア語である。
 部屋は驚いた事に個室。たしか一番安い四人部屋を頼んだのだが、二人部屋(二段ベッド)のシングルユースでシャワーにテレビまでついている。ちょっとしたホテル並みである。もっとぼろい部屋で良いので安くしてくれ。
 三時にミュージックサロンでイミグレ手続きだ、と言われて行ってみたら、「三十分後に来い」、どうせ三十分でも始まらないだろうと部屋にいたら、四時ちょっと前にようやく船内アナウンスがあって(ロシア語だけど「ムジカサロン」と「イミグレ」だけはわかった)イミグレ手続き。日本人の係官にパスポートを渡すだけ。
 日本時間五時過ぎ、船内時間(ウラジオストック時間)六時過ぎに船がガタガタし始める。どうも出航らしい、とデッキに見物に行く。もちろんテープを投げてワーワーとかいうのは無し。ざあざあ降りの雪の中(一応断っておくと、そういう表現は無いことをわかっていて使っています)ひっそりと出航する。出航のとき何人かのロシア人が海にコインを投げ込んでいた。出航の寸前船の入口に行ったらロシア人に「ここはもう閉めるから上に行ってヒュー」と何かを落とすジェスチャーをされたんだけど、これの事だったのか。残念ながら財布をもうしまっちゃって一枚もコインが無かったのでやらなかった。
 船内時間七時、夕食。この時だけ日本語のアナウンスがあった。できるならやれ。メニューはサラダ、スープ、パン、水餃子みたいなの。結構おいしかった。けどこの頃から少し船酔い気味で気持ち悪くなってくる。意外と大きな船だったので大丈夫かと思ったんだけど、激しく波にもまれる、ということは無いものの、ゆっくりとした周期でゆっくり上下どうして、だんだん効いてくる。部屋に戻る時は足下がフワフワして風で熱があるか、酒飲んで酔っているかのようで、まさに船「酔い」である。起きていてもする事ないし気持ち悪いだけなのでさっさと寝る。船のシーンのある小説を読むとよく「固い地面を踏む」という表現があるのだが、こういう事なのだなと納得した。何事も経験である。


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